食べ吐きがはじまると学校生活もだんだんと休みがちになったり気持ちが落ち着かなかったり、不安定になっていきました。 拒食だった頃は逆にハイになり、親友と朝ランニングしたり、部活動したりと運動しなきゃいけないとその考えに囚われていました。 給食もだんだんと残すようになり、 56キロあった体重も40キロを切るように なっていきました。 この時点でも自分が病的だとわかりませんでした。 ある教師が「大丈夫か?」と心配するまでは、、、
私の家はシングルマザー家庭で育ちました。 シングルマザー家庭でしたが、母はとても働き者で何不自由なく育ててくれました。 しかし美容師だったこともあり、夜も遅く 日曜日も仕事だったため兄と2人で過ごす事がほとんどでした。 兄は年子でとても仲が良かったです。 そんな兄も高校進学と共に演劇部に入部、それからは兄も夜が遅くなりました。 いつしか夜ご飯を作るのは私の仕事となり、 兄と母が帰るまでに夜ご飯を作り、自分は抑えきれない食欲に支配されていました。 この辺りから食べ吐きがは
チューイングの後、いつから吐き始めたのか 定かでなく…おそらくそんなに時間は経っていなかったように思います。 記憶に残っているのは病気の自覚がなかったことだけでした。 学校は行き、部活で運動もして 最初の頃は給食もちゃんと食べていました。 しかし次第に給食も残すようになりました。 家族は帰りも遅く、痩せていく私に気づいたのは1人の教師と兄だけでした。
夕食を食べなくなり3ヶ月 抑えきれない食欲からチューイングが始まりました。 お小遣いや夕食代でもらったお金は全てチューイングに消えていきました。 チューイングが長く続くことはなく、 その後は週に一回、食べ放題へ行き過食するようになりました。 この時、摂食障害の知識はなく身体が求めていたまま、本能でチューイングや過食をしていました。 病気の自覚は全くありませんでした。 1週間分食べる勢いで食べ、その時はまだ吐くことを知りませんでした。 週に一回だったので体重が増加すること
最初は友達や家族から 「太った?」と言われ始めたのが 食べれなくなっていったきっかけでした。 当時158センチ46キロと別に太っているわけではなかったのですが… 今までが食が細く、周りに比べるとかなり華奢な体型だったからか言われることが増えた。 今思えば、運動系の部活に入り 食べる量が増え、10キロくらい増えて普通体型になっただけ。 それが思春期の私にはとても突き刺さる言葉だった。 夜、母の帰宅が遅いこともあり 母が帰ってくると「先に食べたよ!」 なんて言ってリビングの横
摂食障害になったのは中学生1年生の冬。 私は人間関係があまり得意ではありませんでした。なんとなく仲間に入っていけない自分がいた気がします。 記憶のない頃に母と父は離婚し、母子家庭で育ちました。母は働き者、あまり家には居ませんでした。 「苦労は買ってでもしろ」 母は祖父から言われ厳しく育った様で どちらか言うと突き離すのが愛情という感じで育ちました。 小学生の頃には自分で料理を学び 中学生になると家族の晩御飯やお弁当は 私の担当になっていました。 働く母の姿を見ていたの
こんばんは。 摂食障害歴15年、5児ママのnoaです。 摂食障害とうまく付き合いながら生きています。 もしかしたら私のつぶやきで前を向ける人がいるかも…と思い綴ることにしました。 摂食障害の治し方!なんて私は書きません。 摂食障害が薬や治療で簡単に良くなるものではないからです。また、人によって克服していく過程もちがいます。 私なりの付き合い方が少しでもよくなるきっかけになればと思っています。 のんびり書いていくのでよろしくです。