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野良猫に会った話

会社帰りのいつもの川沿い。生き物の鳴き声で心臓が跳ね上がる。あたりを見回すと、雑草の隙間から猫がこちらを見ていた。ゆっくりとこちらに歩いてくる。

等間隔に建てられた街灯に照らされて輪郭がはっきりと浮かび上がる。それは、黒い薄汚れた野良猫だった。

「に゛ゃあ゛」

君、酒やしてんのか?と言いたいくらいの鳴き声。お世辞にも可愛いとは言えない。しゃがんでよく見ると、首元に赤い首輪があった。飼い猫だったのか、この野良猫を可愛がっている人間がつけたものなのかはわからない。ただ、赤い首輪がつけられていた。もう少し、近寄ってみようとすると、先ほどの愚鈍な動きとは裏腹に、電光石火の勢いで雑草の隙間に消えて行った。

***

次の日、猫缶を入れたコンビニ袋を持った俺が立っていた。一度家に帰り、荷物を置いた後、この川沿いに来た。万が一、仕事用の鞄をなくしてしまっては大変だからだ。ほどなくして、雑草の隙間から酒焼け鳴き声が聞こえてきた。

「に゛ゃあ゛」

昨日とは違い、赤い首輪の野良猫は妙になれなれしい気がする。お前、俺が持っている餌を嗅ぎつけたな。仕方なく、缶詰を開封して置く。赤い首輪の野良猫は餌に向かって一直線に歩いてきた。

「に゛ゃあ゛」

近くで見ると、やっぱり薄汚れている。心なしか、臭い気もする。野良猫はみんなこんなもんなのだろうか。餌を食べ終わった野良猫は、なれなれしく身体を擦り付けてきた。俺はその両脇を引っ掴んだ。

住んでいるアパートは動物の持ち込みが禁止されている。とにかく、シャワーだけでも浴びさせてやろうと考える。Youtubeで猫の洗い方を勉強する。どうやら、猫によっては大暴れする可能性もあるらしい。猫は水が苦手だという事実くらい知ってはいたが、こんなにもとは。隣の赤首輪の野良猫を見る。君よく見るとおじさんみたいな顔してるな。

やっぱり、赤首輪の野良猫は飼い猫だったのか、シャワーに対して暴れることは無かった。灰色の水が排水溝を流れていく。

「に゛ゃあ゛」

「こら黙れ!追い出される」

いきなり鳴くな。猫が人間の言葉など解するわけもないとわかりながら、人間語が出る。こちらも、猫語で話す必要があるのか。んなバカな。

猫は飼えない。ただ、できるだけこうやってシャワーを浴びさせてやろうと心に決める。どこかに行ってしまわないように、両腕で抱き留めながら川沿いまで歩く。

そうだ、赤首輪の野良猫じゃあ呼びづらい。ひそかに呼び名を決めてしまおう。そうだな……。黒いからクロ、丸いからマル、酒焼け声だからサケヤケネコ、碌でもない発想しか生まれない。天を仰いで、閃く。夜に出会ったから、ヨルでも良いじゃないか。碌でもない発想には変わりないが、他の発想よりかはマシに思える。

「君はヨルという名前にする」

そんなことを、腕で蹲るヨルにつぶやいていると、脇を高級外車が通り過ぎる。あんな車を買える日が来るのだろうか。真面目に働くだけで買えるのか?いや、ほしくはないが……。なぞと考えていると、高級外車は二十メートルほど先でハザードをつけた。まさか、声に出ていたか?汗が噴き出る。

後部座席から小さな女の子とその母親と思しき人間が下りた。高級外車に乗っているだけあって、確実に俺よりも良い物を身に着けている。親子はこちらに小走りで寄ってきた。

「あっ!やっぱり赤い首輪!クロちゃんだよママ!」

母親が怪訝そうな顔で何も言わず俺の顔を見る。娘を自分の後ろに隠し、俺をにらむ。

「えっと、その。たまたま見かけたんです。汚れてたからシャワーだけ入れてあげようと思って……」

思わず、腕で抱いている、クロと呼ばれた猫をアスファルトの上に離す。クロは一直線に娘の方へ走って行った。娘はクロを抱き上げると、高級外車に向かって走り出した。母親はしばらく、俺をにらんでいたが、すぐに踵を返し早歩きで高級外車に乗り込んだ。

やがて、高級外車はハザードを消すとゆっくりと発進した。坂道を上り、見えなくなったところで、俺はアパートに帰った。

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