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日常の言葉から深掘り:人間理解へと展開した誕生日に想う。
35回目の誕生日でした。
朝から子供達3人(みんな男)と夫から
おめでとう!の言葉をもらいスタートした一日。
仕事を終えて家に帰り
園、学校から帰ってきた子供達がそれぞれ
「今日ママの誕生日なんだー!」
と担任の先生に伝えてくれたらしく、
それぞれの連絡帳に
「お誕生日おめでとうございます!」
と温かいメッセージが添えられていました。
夫の方も職場に報告してくれ、
粋な先輩が ホワイトボードに
「妻、誕生日 早退」
と書いてくださり、本当に早く帰ってきましたw
なんとも心があったかくなるこの出来事、
「大切なこと(好きなこと、もの、ひと)
を誰かに素直に伝えられる」
って素晴らしいことだし、社会性を育む上で
とても重要なことだなあ、と再認識しました。
逆に言うと 現代は忙しなくすぎていく日々。
「好きなこと、もの、ひと」を自分で感じることが
できているのだろうか、と心配になることも多々あります。
というのも、小学1年生の次男が
先日学校帰りに、前から来た中学生のお兄ちゃん集団に
「こんにちは」とご挨拶をしたら、
「ちび、くず、かす、うるせー!」など
それぞれから罵声を浴び、泣いて帰ってきたという
ショックを通り越して唖然とする出来事がありました。
体格差も全く異なる中学生が、小1に、、
何とも悲しい出来事なのですが、
我が子の心に寄り添うと共に、
私は、
「あの中学生たちは普段から自分を満たせているのだろうか、
自分の好きなことや好きなものを自分自身がよく知っているのだろうか、、」
と心配にもなりました。
多感な時期とはいえ、中学生が小学生一人に対して罵声を浴びせる
なんて異様だと思うのです。
時代のリアルな背景を表していると言っても過言ではないです。
人間は生まれた時から、
自分を満たす訓練を始めます。
泣き喚いて、ミルクを欲しがります。
おしりが気持ち悪いと夜でも朝でも24時間泣きじゃくります。
幼児期になると、
欲しいものを手に入れるためにどこであろうと
癇癪を起こし、認めてもらうための体現をしようとします。
ダメなものはだめ、ということを理解するまでに
日々の積み重ねを繰り返していくんですね。
そこで、とても大切なのが、
「自分が満たされて初めて相手の気持ちに寄り添える」
ということ。
幼いうちから、ダメなものはだめ、だけでなく、
まずは、認める。〜したかったんだね、と共感する。
言い換えると
共感の繰り返しの中で、良い、悪い、の理由をしっかり話す。
まず、「共感」の姿勢が大前提だと思うのです。
あたたかくなる出来事と、悲しい出来事と、
二つの出来事を通して、
「自分を満たすこと」に他責せずしっかり向き合うこと、
とても大切だと気付きました。
「あの中学生たちは、
今日はどんな日を過ごすのかな?」
と、朝、我が子たちを学校へ送り出した後
玄関から見える雨模様の空を見上げて
想うのでした。