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【連続小説1】棒振り

目覚まし時計の音は、なぜこんなにも不快なのだろうか。一番嫌な音域が、一番嫌な振動数で鳴り響いている。全く頭が働いていない状態で、手を伸ばし、消す。

和室の中央に無造作に敷いた薄く固い布団。その周りには、先週号のマンガ雑誌、昨日飲んだチューハイの空き缶、これから使う仕事のバック。統一感のない物が乱雑に散らばっている。

人が来ることなんて考えていない。東京郊外のボロアパートを、自分が生きるために必要なスペースとだけとらえると、こうなる。

無気力なまま身支度を済ませ、靴に足を掛ける。
俺はこの制服が心底嫌いだ。
普段私服であれば溜口で話されることはそうないが、この制服で仕事をしていると、皆溜口で話し掛けてくる。

職業の差別、偏見は良くない――そんなのは口先だけで、皆内心は思っているじゃないかと実感する。

仕事のカバンも、これまでずっと普段使いしていたリュックでいいやと思っていたが、リュックから飛び出る赤い棒の頭が嫌で、大きめのショルダーバッグを新調した。

何の気力も湧かないまま、靴を突っかけ、外へ出る。空は雲掛かっており、じめじめと蒸した空気が気分を下げてくる。呼吸をするたびに、肺にかびが生えていく気がする。

スーツを纏ったサラリーマンにまみれて、新宿へ向かう。小綺麗な服を着ているが、それを剥がせば俺と大差ないくたびれた男ばかりだろう。

「この工事が終わって地下道路ができると、都庁の職員が駅から濡れずに出勤できるんだってよ」
「そのために俺ら低賃金で棒振ってるってわけか」
他の警備員が、そんな話をしていた。
知りたくもなかった。何の現場なのか、社会で何が起きているかなんて、俺には関係ない。ただ死なないために、毎日現場に出ているだけだ。
一丁前に都庁への不満を垂れている同僚を目にして、より一層情けない気持ちになった。

むしろこの現場は、昼飯の弁当が支給されるだけましだ。
最近現場が被ることが多い、同い年くらいの同僚・前田と、朝、弁当の中身を賭ける。
「昨日は中華だったから、今日は採算取るためにのり弁程度だな」
俺の読みに対して前田は、
「甘いよ。水曜は鮭弁が続いている。今日もそうだろう」
と返す。
「どこの現場もクソだけどよ、ここは弁当出るから、日給に500円乗っかってるようなもんだよな、実際は」
前田はそう言う俺をうつむきながら斜めに見て、片方の口角だけを上げて皮肉たっぷりに笑った。
その日の弁当は鮭弁だったから、俺が前田に食後の缶コーヒーを奢るはめになった。

俺はもう、終わってんだよーー
そう思うようになったのは、いつからだろう。10代の頃、高校を中退したときからか。でもそのときは、まだ自分には何かできるはずだという、全能感にも近いエネルギーがあった。

それから年を取るにつれて、エネルギーは減っていくばかりで、虚無感だけが残った。
じっくり何年もかけて、両方ともざるで濾されて、同じくらいずつ無くなってくれれば良かったのに、虚無感だけがなぜか残った。


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