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読書記録「チボー家の人々 父の死」ロジェ・マルタン・デュ・ガール著

山内義雄訳
白水uブックス
1984

時間をおかず、ラ・ソレリーナからの続き。
父のもとへ向かうジャックとアントワーヌ。
そこで父とジャックが最後に対話をする、などというのは物語の中だけの話であって、現実はそう甘いものではない(この本だって物語なのだが)。

(以下ネタバレ含む。)

3分の1ほどは、父を看取るまでの数日だが永遠にも思える時間。医者として多くの患者の最期を、そしてその家族をみてきたアントワーヌにとっても身内の最期は想像を超えた重たいもの。患者に相対するときの、疲労を超えた、一種のアドレナリンが出た状況だけでは乗り越えられない。
"診察"の巻で子供を失ったエッケの言葉がずしんとくる。

「人間は、ともすれば、死はわれらにとって古い友だちだといったようなことを言う。だが、死が、ついそこに、われわれの家に来たとき、まるでいままで一度も会ったことがなかったとでもいったようなぐあいなんだ」

この場面でジャックがいてくれて、どんなに心の支えになったことか。
ジャックは父がもがき苦しむ姿を見ているのがたまらない。彼がなにかしてあげなくっちゃと叫ぶとき、アントワーヌは医者として出来るせめてものこととして入浴をおこなう。

それでも続く父の苦しみ。その声は近所にも響き、窓という窓を閉めなければならないほど。
ここにきて、"診察"の巻が意味を帯びてくる。
医者として患者のためにどう行動すべきか。そして早く区切りをつけてホッと安心したいという兄弟2人の気持ち。
そしてモルヒネを打つというアントワーヌとジャックの決断。

印象的なのは全てが終わったあと、父のそばにいるジャックの姿。
楽になった父をみてジャックは羨ましいといったような気持ちを抱く。それは永遠に逃れることの出来ない自分の思考から逃れることが出来たことへの羨ましさ。

一方のアントワーヌは父の部屋のものや書類を確認している。
今まで知らなかった、特に若い頃の父の一面。
そして思いもかけず、ジャックと父とは実は似ており、それ故に反発しあっていたのではないかと思い当たる。
そんなこともあって、葬儀でのありきたりの褒め言葉や上っ面の弔辞などに反発を感じ得ない。

彼は、父の一生なりその性格なりについての自分の考えが、まだこれで終わりでないということ、そしてこれから先も長いこと、そうした省察のうちに、教訓と魅力に富んだ自分自身にたいする反省の機会があたえられるだろうということを感じていた。

ジャックもまた、クルーイでの葬儀には参列しなかったものの墓を訪れる。
そこで自然と流れる涙。

そしてもうひとつ、父を看取る数日の中での思いもかけないジャックとジゼールとの再開。
ジゼールはチボー父の死に際して対して悲しいという気持ちもわかず、ジャックとの思いもよらぬ再会で心乱される。
ジャックを素直に愛しているからこそ些細な言動から彼の心がもうパリでの生活に、そして自分にはないこと、そして以前のような日々が戻らないことが分かってしまう。
いつパリを発つのか尋ねるジゼールに君は?と返すジャック。互いを傷つける言葉を言わない別れがなんとも切なかった。
ジゼールには思い出の中のジャックを思い浮かべ、希望を繋いでいた日々より辛い日々がしばらく続くことだろう。

さらに、軍隊にいるダニエルからの手紙。
これまでダニエルはちょっと冷淡な印象もあったので、ジャックへの長文の手紙はちょっと感動的だった。

後半はヴェカール神父とアントワーヌとの対話。それまで父を通して向き合ってきた神父に初めて向き合うアントワーヌ。
葬儀からの帰りの電車の中で、信仰についての論議を交わす2人。このときのアントワーヌは議論をふっかけてやろうというのではなく、誠実で真摯な思いから出た議論。自分は今まで神の存在を父を通して感じてきたというだけで、一度も宗教というものを持ったことがないと言う。
直接向き合って話をする2人の様子は、チボー父がなくなったということを改めて思い出させ、そして新たな関係が始まるのだと感じさせた。

ここで戦争前の平和な時代は終わり。次巻は"1914年夏"。時代はいよいよ戦争へと突入していく。

これまでの感想
チボー家の人々 灰色のノート
チボー家の人々 少年園
チボー家の人々 美しい季節
チボー家の人々 診察
チボー家の人々 ラ・ソレリーナ

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