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読書記録「チボー家の人々 1914年夏 IV」ロジェ・マルタン・デュ・ガール著

山内義雄訳
白水uブックス
1984

フランスでも動員令が発令。皆が死へ、戦争へと向かっていく。ただただ悲しい一巻。

自国を守るのだと戦争支持に舵を切った社会主義者たちとは違い、ジャックは本気でヒューマニズムを信じていた。

何週間というもの、彼は、正義、人道、真理、愛の勝利について、なんら疑うことなく暮らしてきた。それは、奇跡を待つ神がかりの人といったようにではなく、確実な実験の結果を待つ科学者のようにしてだった。それがいま、すべてくずれ去っていこうとしている…なんたる恥辱!…大衆の意志の無気力さに、人間の手のつけられない愚昧さに、理性なるものの無力さに、はずかしめられたといった感じだった!

…ジャックはすぐに言葉をつづけた。「それは、やつらが、あれほど戦争にいっしょうけんめいになってることだ!ああした勇気、死ぬことをなんとも思わぬああした気持ち!むだなことにつかわれるそうした勇気-せめてその百分の一でも、時期を逸せず、みんな心をひとつにして平和のためにつかったら、りっぱに戦争がふせげただろうに…!」

アントワーヌに会いに行くと、そこにはロワやスチュドレル、そしてフィリップ博士もいた。
フィリップ博士はさすがアントワーヌの師という感じがする。戦争に向かう教え子たちに向かって言う。

「きれいさっぱり終わってしまった…一九一四年七月。かつてわれらがそこに属していた何ものかが終わり、われら老人がそれに属さないであろう何ものかがはじまることになるのだから」

ジャックはアントワーヌにジェンニーとのことを打ち明ける。今このとき一緒になるといこの決断に反対せずにはいられない。

アントワーヌの落ち着かない様子や最後の夜をアンヌと過ごしてしまうところなど、時折見られるアントワーヌの人間らしさ。それでも粛々と、自らの任務を全うしようと戦争へ向かっていく。
見送りにきたジャックとの抱擁のシーンは数々の思い出が蘇ってきて、切ない。

外国人退去の日が迫る中、ジャックはジェンニーと共にスイスに向かう決意を決める。この時はまだ、何をなすべきかジャックにははっきりと定まっていない。
そんな時、ウィーンからフォンタナン夫人が戻ってくる。打ち明け話を聞いてアントワーヌとフォンタナン夫人、同じような反応を見せたのは面白いなと思った。ジャックには好意を持ちながらも反対する夫人。今までとは違う娘の姿への戸惑いが大きかったのではないか。
自分の幸せを喜んでくれる様子のない母の反応に反発するジェンニー。母は自分に嫉妬しているだけなのだと思いの丈を母にぶつけ、そのままスイスに出発してしまおうとする。
しかし彼女にはそれが出来ない。ジャックに相談することなく、数日経ったら母と一緒にスイスへ向かうことに決める。

…彼の気持ちは、ジェンニーの口から出た-自分を解放してくれた-最初の言葉、≪わたし、出発できないの≫という言葉のうえにじっととどまって動かなかった。彼の態度にしめされた悩ましさと絶望、それは見せかけだけのものではなかったが、けっきょくうわべだけのものだった。これで、最後の呪縛が破れようとしている。いよいよ出発するのだ!すべてはこれでかんたんになったのだ。

母とのことがなければ、ジャックの変化にももっとちゃんと気が付いていたことだろう。
1人でスイスに向かった時点で、ジャックには自分がなすべきことの答えは出ていた。
ヒントを与えたのはムールランの言葉。

「もしも…もしもとつぜん両軍のあいだに、ひとつの良心がひらめいて、この厚くたたんだ嘘を引き裂いたとしたらだ!こうした不幸な連中のすべてが、はっと正気をとりもどし、火を吐く戦線をあいだにはさんで、みんなひとしく、自分たちのかり出されたことに気がつくことになったとしたら、みんなはこぞって怒りと反抗にたけりたち、いっせいに立ちあがることになりはしまいか?そして、自分たちをかり立てたやつらのほうへいっせいにおそりかかっていくことになりはしまいか…?」

ミトエルクは反逆者として処刑されると分かっていながら自国に帰った。自分の使命を全うした。ではジャックは何をするのか。
アルフレダが去ってから、まるで抜け殻のようになってしまっていたメネストレルに計画を打ち明ける。

後方にあっては、闘争はぜったいに不可能である。各国政府にたいし、厳戒令にたいし、愛国的狂乱にたいし、打つ手はまったくない。だが前線となると、問題は別だ。戦線に送られた兵士たちにたいしては、はたらきかける余地がたしかにある。戦争という現実のなかにほうり出された哀れな男たちに、「きみたちはまた搾取された!銃を捨てろ!いますぐ、その塹壕を飛び出て、正面にいる君とおなじ労働者たちと手を握れ!」とうったえるのである。

そのためにジャックが示した具体的な案。

そのためには、飛行機に独仏両国語で印刷したアジビラをつんで、独仏戦線の上を飛び、対峙した二つの塹壕に向かってビラを投下する。戦線のただ一点で、両軍のあいだにうまれた交歓は、たちまち燎原の火のように燃えひろがって行くだろう。そして、独仏両軍の指揮系統は麻痺させられてしまうだろう。インターナショナルのおさめることのできなかった勝利を、こうして、いまでも、みごとにかちとることができるに違いない…!

メネストレルが”パイロット”というあだ名で呼ばれていたことがこう繋がっていくのかとハッとした。飛行機の操縦を教えて欲しいと頼むジャックに対して、メネストレルは自らが飛行機を手配し、飛ぶという。
メネストレルは決してジャックに賛同したわけではないだろう。ただその計画の中に、自分の良い死に場所を見つけただけなのだ。

中盤からは自分のなすべきことを決めたジャックの最期の日々。
まるで夢の中に生きているかのよう。
アジビラを起草して準備しながら、少年園でのこと、メーゾン・ラフィットでの日々、アントワーヌ、ダニエル、そしてジェンニーのことが夢のように思い出され、それらが計画が失敗して捕まり裁判にかけられた時の想像と混じり合う。
メネストレルがタウべで迎えに来てからどうやってそれに乗り込んだのかすらも記憶にないほど肉体的にも疲れ切り、現実に生きているという感じがない。

彼にはわが恋を犠牲にすることが、裏切りであるとは思われなかった。自分自身に、すなわちジェンニーが愛してくれていたものに忠実であること、それこそむしろ、自分の恋にも忠実なのだと思うのだった。

おれはただ、絶望感からこんなことをしようと思っている…自分から逃げだしたいばかりに…おれには戦争をせきとめることなどできやしまい…助かるのはおれだけなんだ…なすべきことをやってのけ、自分自身を助けるのだ…あらゆるものを向こうにまわして、負けないこと!そして死の中へ逃げ込むこと…

父の死の巻でも感じたが、この物語に起こることは決して甘くはない。アントワーヌと戦場で再会というようなことはもちろん起こらない。
ヒロイズムを徹底的に嫌った作者の思いがあるのだろう。アジビラを撒いたり、撃墜されて死んでしまえば一種の英雄になってしまう。そうはしたくなかったのだろう。
撒かれることなく墜落とともに燃えてしまったアジビラ。この終わり方はただただ悲しい。

墜落の中で黒焦げとなったメネストレルと対照的にジャックは何とか助け出される。
スパイとして兵士たちに担架で運ばれてゆくジャックの前で繰り広げられる戦場の光景。
個々の兵士たちには全体像がみえているわけではないので、何のために退却しているのかも分からずただただ進む。これが戦場の現実なのかもしれない。
アジビラが撒かれなかっただけでも悲しいのに、この終わりには言葉が出ない。ジャックの人生、そして彼が遺していったものとは何なのだろうか。

これまでの感想
チボー家の人々 灰色のノート
チボー家の人々 少年園
チボー家の人々 美しい季節
チボー家の人々 診察
チボー家の人々 ラ・ソレリーナ
チボー家の人々 父の死
チボー家の人々 1914年夏I
チボー家の人々 1914年夏II
チボー家の人々 1914年夏III

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