石川達三「生きてる兵隊」(3)

本作品は、上記のように当局の忌避に触れ、敗戦までは出版が許されなかった。何故忌避に触れたのか。
それは戦争に伴う罪悪行為を石川が書いたからである。
又、主役と思われる4人の将兵の、軍人ではなく、人間としての心の動きを描写する中で、戦争に対する嫌悪や平和への願いなどが示唆されており、軍の目指す戦意高揚とは相反するからである(詳しくは後述)。

石川は、昭和12年12月から3週間にわたり南京を含む中支戦線を視察、13年1月に帰国した。石川が滞在した南京は“南京大虐殺”事件直後であり、多くの生々しい事例を現地の将兵から聞取ったり、時には本人が直接見聞したのかも知れない。この作品には、虐殺や婦女暴行を直接記述した個所は見当たらないが“捕虜の処分”などの記述に虐殺が示唆されている。

作品内容を概略紹介する。

西沢連隊に所属する4人の将兵が小説の主人公である。倉田少尉(小隊長)、笠原伍長、近藤一等兵、平尾一等兵。脇役として従軍僧と中国語の若い通訳が配されている。
連隊本部わきの民家が失火、犯人として囚われた中国人が笠原によって斬首されるシーンから物語は始まる。部隊は、その後移動になり列車で北に向かう。凱旋帰国を期待していた将兵は、ソ連との戦闘への予感におびえる。結局、大連経由で部隊は上海戦線に投入される。到着時には、当初の頑強な中国軍の抵抗は衰えており、部隊は一斉に南京に向かった。南京での攻防が本書の戦闘場面の大きなハイライトである。多くの犠牲と勇敢な兵士たちが描かれる。

倉田少尉は毎日丹念に日記をつけている元小学校の先生である。戦闘では勇敢だが、温和な人物であった。段々と戦死を望むようになる。笠原伍長は、激戦にも殺戮にも揺るがない心の持ち主であり、戦場で役に立たない鋭敏な感受性(平尾一等兵)や自己批判の知的教養(近藤一等兵。医学士)も持ち合わせていないが、「このように勇敢で忠実な兵士こそ軍の要求する」人物として描かれる。この二人の一等兵は、各々の持つ感受性や意識によって、戦闘を経過するごとにその行動や己への認識を問いかける。全体として倉田少尉も、二人の一等兵も、笠原のような揺るがない安定した心を持つように変化していくが、その本性は依然として残る。それを象徴するのが、占領後に開設された日本人経営の料理屋で惑乱した近藤の心の動きである。破れた障子の穴から部屋を覗きこむ黒猫。どこかで人間を食ってきたのではないかと、悪寒を感じる。入ってきた芸者の黒い手に死体を連想する近藤。やがてスパイ容疑で自分が刺殺した若い女の真白い肉体が幻となって現れ始める。女を殺したくなった近藤。猫が又顔をのぞかす。苛立つ近藤。芸者の非難めいた言葉に発作的に怒りを感じて拳銃を発射する。傷ついて逃れる女。

近藤は憲兵隊の取り調べを受ける。部隊は次の土地へ移動を開始する。取調室の窓から部隊を見送る近藤。突然、憲兵から原隊復帰を許される。
原隊に追いつかねば。しかしどこに行ったのか。焦り、気が狂ったかのように走る近藤。部隊を離れては「まるで何の価値もなく何の力もないのだ」。「彼は心の底から自信を失い誇りを失って」原隊に追いつこうと走った。「原隊と一緒に行く」ことしか考えられなかった。
追いついた近藤を倉田はやさしく迎える。平尾が近藤の銃を担ぐ。
部隊は日章旗を翻して南京城門を出た。新しき戦場へ!その戦場がどこであるか、誰も知ってはいなかった。

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