その他;
「武漢作戦」といういわば「生きている兵隊」の続編とでもいうべき作品に少し触れておきたい。
「武漢作戦」は昭和14年1月「中央公論」に発表された(特派されたのは前年9月)。
ここで取り上げたいのは2点。
① 何故再度の派遣従軍となったのか
② 作品の内容は、有罪判決と言う事実を受けてどのようなものになったのか。
① に関して結論的に言えば、石川達三から見れば中央公論社への“償い”と自分自身の“名誉回復”、中央公論社からすれば軍を含む当局に対して従
「生きている兵隊」(5)
作品のポイント;
ここでは、昭和13年の裁判を通して「生きている兵隊」のもつ歴史的意味を掘り下げていきたい。
起訴理由は二つあった(新聞紙法違反)。
① 虚構の事実をあたかも事実の如く空想して執筆した。
白石喜彦「石川達三の戦争小説」によれば、判決書に判断の記載がないので、争点
として回避されたのではないかと推測している。
② (そういう行為は)安寧秩序を乱すもの。
石川と、発行人、編集人の3人が起訴された。石川は禁固4か月(執行猶予3年)。14年4月の二審で
「生きている兵隊」(4)
以上概要を示したが、内容的に整理すると次の通り。
① 日本兵の残虐行為の記述
女狩りを示唆する兵士の嵌めてきた銀の指輪。「生肉」の隠語。
「捕虜は捕えたら殺せ」。「命令ではなかったがそういう方針が上部から示された」。
下関における逃げ去ろうとする中国兵への攻撃の描写。両岸からの機銃攻撃。止めを刺す駆逐艦。
② 被害者としての中国人の記述
水牛や馬の徴発に抗議する年老いた農婦。抗日中国兵の処刑。
母親の死を嘆き悲しむ若い女の声、苛立つ兵士たち。夜中になって耐えら