silent 9話の亡霊
『なんかあったら言ってね』
いまではもうすっかり昔の話だけど
10代前半で親を亡くした時にたくさんの人にそう言われた
そういう時に言う「なんかあったら言ってね」は
仕事を退勤する時の「お疲れ様でした」と同じ種類のものだと思っていた
もしかしたら当時子どもだった私にそう声を掛けてくれた人は心からそう言ってくれていたかもしれない
だけど「何か」があってもどう言っていいのか
一体誰が、何をしてくれるんだろうと思っていた
『誰がどうやって支えになってくれるの?』
だからこの想の気持ちは痛いほどわかるのに、私がもし想のお母さんと同じ立場に立ったらきっとお母さんと同じことを言ってしまうような気もして
いくら親子でも、その人の地獄はその人にしかわからないということを改めて考えていた
「火傷しそうなほどのポジティブの冷たさと残酷さに気付いた」
今回のSubtitleは想とお母さんの曲だと思ったし、ひしひしとSubtitleの名曲さを感じて心が震えた
CDが好きなんだよね
想が「言葉」を大事にする人ということは1話から丁寧に描かれていて
9話で紬が歌詞カードをお店で立ち読みしたというエピソードを話した時に
そこには紬と湊斗や、想と奈々とは違う紬と想の2人を強く結びつける共通点があった
紬が湊斗に対してそれ好きだなぁと言った、
月を見て「晴れてるね」の言葉が想のものだったということがわかって
想の言葉を紬から好きと言われた湊斗が、このままじゃ俺が無理になると別れを選ぶのは当然かもしれないと
9話になって改めて腑に落ちたりした
こういうところまで丁寧に描いてくれるsilentは、やっぱり後世に残る作品だと思う
『ありがとう』
最初からずっと想のお母さんの頑なに聴者から想を遠ざけようとする姿勢には辛いものを感じていたけど
その行動の裏で母は誰よりも最前線で息子の盾となって想のことを守ろうと必死だったし、そんな母と同じように家族も苦しんでいた
病気になると本人が辛くて苦しいのはもちろんのことだけど
それを支える家族にも苦しみがあって、
決して綺麗事では語れない
8年前に母親に『ごめんね』と言った場所で想が言った言葉が『ありがとう』だったり
湊斗が捨てたと言っていた紬のメモを想に渡していたり
9話はみんな、それぞれの傷がそれぞれの想いで癒されていくストーリーに心が救われた
「救いたい=救われたい
このイコールが今 優しく剥がしていくんだよ
堅い理論武装 プライドの過剰包装を」
10代の時、何かあって誰が助けてくれるんだろうと思ってた私は
きっと自分の心を守るのに必死だった
でも今この時まで、ちゃんと私は色んな人や出来事に救われてきたし
あの頃私に何かあったら言ってねと声を掛けてくれた人たちの中には、本当に私を支えたいと思ってくれていた人もいたんだろうし
私も、やっぱり大事な人が悲しみに触れていたら救いたいと思ってしまう
うわべよりも胸の奥の奥を温めるもの、私は持っているんだろうか
9話を観終わって、そんなことを考えていた