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12歳の自分に問いかけたい

どうも、Yusugeでございます。

前回は11歳の自分に問いかけてみた。

今回は12歳の自分に問いかけてみたいと思う。
野球小僧にさらなる磨きがかかり、とにかく野球のことだけ考えていた。
そして、このシーズンは3つの変化が同時に起こった。

一つ目は、サードへの再コンバートである。
11歳の時は外野を守っていたが、監督が変わるタイミングでサードに戻ることになった。
自分ではまったくそう思っていなかったが、スローイングの正確性を買われていたようだ。

といいつつ、自分でもびっくりするようなプレイを披露したことがある。
最終回裏、同点、一死満塁。
サードベース付近へのあたりで、捕球した瞬間ホームに投げようとしたが、三塁ランナーとかぶりぎみで送球が当たるのではと判断。
捕球するやいなや、サードベースを踏み、一塁に送球しダブルプレーを成立させた。
なんだかんだスローイングに自信を持っていたのだろう。

二つ目は、ピッチャーとしての試合機会増加である。
11歳の後半あたりからピッチャーとしての練習を開始していたが、このシーズンから本格的に試合で投げることになった。
秋頃までは二番手としてスタンバイし、投げない試合はサードとして出場した。

最終的に、最後の大会ではエースとして出場することになった。
今でもピッチャーとしての持ち味が何かよくわからないが、この頃はビギナーズラックなのか比較的抑えることができていたので、面白かった記憶がある。
というのも、バッティングが極度の大スランプに陥っていたためだ。

三つ目は、スイッチヒッターへの模索である。
先述の通り、極度の打撃不振により、バッティングへの悩みが尽きなかった。
そこで、友達との遊びの野球で気分転換に左打席で打つことにした。
もちろん遊びではあるのだが、感覚は悪くなかった。

数日後、練習のトスバッティングで左で打つことにした。
コーチからも『左、右よりもいいんじゃない?』と誉められた。
試合では左打席に立つことはなかったが、練習では左打席も追加した。
もちろん素振りも追加したのだが、当然右でもスイングするので、素振りの回数はほぼ倍増した。

ちなみに、12歳は人生唯一の骨折を経験している。
骨折箇所は左足親指。
原因は練習後にサッカーゴールを運ぶ際に、誤って足に下ろしたためだ。

いろんな意味で涙を流した。

それでは。

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