【小説】せきれいの影|7話
神社は参拝客で賑わっている。
そこかしこから、白い吐息や出店からでる排煙やらがもうもうと立ち込めていた。
「悪酔いしてないかい?」
「うん、お水飲んだから大丈夫」
それにしては、香ちゃんはいつにもましてぼうっとした顔をしていた。
何ともなしに横顔を眺めていると、
「木戸ちゃん」
「ん?」
「さっきから息切らしてるけど大丈夫?」
「俺?」
「うん。なしたのかなって思って」
いわれるまで気づかなかった。
気づくとため息が癖のようになっていた。
そういえば、今日とはいわず、仕事中にもため息をつくことが多い。
「この時期、仕事も天候も一番体に堪えるからなあ。こないだテキストで送った通りさ。それとも肺ガンだったりして」
「そういうこといわないの。木戸ちゃん、ただでさえ結構吸うんだから」
隣人がにわかに不機嫌そうな顔をした。
「もしかして、本当に心配かけてた?」
「気づくのが遅いよ」
「それは悪かった。すみませんでした」
今度は彼女がため息をつく番だった。
吐息はほんの束の間白んで、やがて人いきれにかき消された。
「まあ、今日ぐらい、お説教はやめておきますか。せっかく神社にいるし、神様にバチをあててもらえばいいから」
「はは、ひどいな。あ、新年まであとどれぐらいだろう」
「さっきすれ違った人が十分ぐらいっていってたよ。ああ、一年ほんとにあっという間だね。二十歳超えてからいきなり早くなって、二十五からはもっと早くなって」
「三十になったらもっとあっちゅう間だよ」
「お願い、やめて」
二人して笑いあった。
すると、どこからともなく、わあっと歓声が沸いた。
新年を迎えたようだ。
「あけましておめでとう!」
香ちゃんの耳元で大声を上げると、
「今年もよろしく!」
彼女も元気よく返してきた。
賽銭箱の前の列に並び、一圓玉の賽銭を入れて、二礼二拍手一礼した。
お守りとおみくじ、それにもちろん御神酒を買った。
おみくじは二人とも中吉だった。
「これから大吉になるのかな? それとも落ち目だったりして」
「あんなの風物詩だって。俺、ここの御神酒が楽しみで来たんだから。ああ、やっぱここのやつはうまいな」
「ちょっと、せっかく来たのにそれはないしょや」
「おっと、失礼いたしました」
香ちゃんは朗らかに笑った。
「木戸ちゃん、神様になんてお願いした?」
「俺? まあ、そうだな、今年も一年つつがなく、ってところかな」
「本当?」
嘘だ。
本当はムロアキの更生を祈願した。
何を祈ろうかなんて考えずに鈴を鳴らした瞬間、何故かあいつの顔が思い浮かんだのだ。
なにせ、社会人になってからは、誠一からあいつの悪評しか聞いていない。
長いこと顔を合わせないまま、三十代を迎えてしまった。
無意識にそのことを考えていたのかもしれない。
だとしたら、あまり気持ちのいい迎春とはいえなかった。
「香ちゃんはなにをお願いしたの?」
「私はね、ごあいさつしただけ。今年も一年よろしくお願いします、って」
「真面目だな」
「本当はは願掛けするようなところじゃないからね。でも、何かしらお願いするのも人情だからいいと思うよ」
かなわんなあ、とおどけて見せようとした時だった。
「木戸ちゃん?」
「すまん、ちょっと早いけどアパートに戻りたいな。だいぶ体に来てるわ、これ」
なんとなく感じていた具合の悪さが、にわかに激しくなってきた。
体は重いし、頭も痛い。暑いのか寒いのかよくわからず、変な汗をかき始めた。
早々に境内から出て、大きなくしゃみを三発かました。
「香ちゃん、ごめん。もし風邪ひいたらたぶん俺のせいだわ」
「風邪かい。いざとなったら当番病院に行くんだよ? とりあえずあったかくして養生してね」
「ありがとう」
香ちゃんの部屋から持ち物を引き揚げて、片付けもできなかったことを詫びて、隣の自分の部屋に戻ってからすぐ寝る準備をした。
参ったな。
三が日のうちに治ればいいけど。
とはいえ、風邪こそ引いてしまったものの、悪くない年末年始だった。
むしろ、独り身になってからずいぶん寒々しい年末年始を過ごしていたことに、今更気づいた。
口の中で鯨鍋と御神酒の後味が混じっている。
だんだんと体の震えが強くなってきたが、疲れが勝って十分も経たず眠りに落ちた。
* * *
風邪ではなくインフルエンザだと分かったのはその翌日だった。
この時期にインフルエンザをまき散らさないでくれ、と電話越しに課長に怒られて、一週間出勤停止になった。
無理しすぎだよ、と香ちゃんにも少し怒られた。
当の香ちゃんは咳ひとつしていなくて、体調も悪くないらしい。
ひょろひょろな体つきなのに、免疫は頑丈らしかった。