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【小説】せきれいの影|6話

 案の定、具合の悪い日が続いている。
 今年の年末年始も、休みは大晦日と三が日だけだ。
 
 まあ、四日も休めるだけありがたい話ではある。
 なにせ上司は元旦しか休みがない。
 まあ、あいつのことは大して好きじゃないからいいのだけど。
 
 そんなことを、隣人とテキストでやり取りしていた。

――てなわけでさ、しばらくはあんまり夜遅くまで通信できないかもしれない

――もうすぐ0時だけど大丈夫?

――大丈夫だよ
――むしろ、少しはコンピュータやらないと仕事と寝ることぐらいしかやることないから HAHAHA

――そっか
――身体に気を付けてね

――ありがとう
――ところでさ、年末年始って、何か予定ある?
――無理にとは言わないんだけど

*     *     *

 大晦日、香ちゃんと初詣して新年を迎えることになった。
 
「いらっしゃい。座布団出しておいたからゆっくりしてて」

 アパートの隣の部屋は驚くほどモノがなかった。
 生活に必要なものだけ揃えているといった風だ。
 生活感のあるものといえば、部屋の隅に平積みにされている雑誌ぐらいなものだった。

 そんな部屋に、どんと鎮座しているコンピュータが不釣り合いだった。

「お鍋はもう沸かすばっかりになってるから」
「それは楽しみだな」
「今年は寒いからしっかり暖まっていってね」
「ありがとう」

 ホッカイドウでは大晦日に豪華な料理を食べる。
 元旦は、だいたい大晦日の余りものに雑煮がつくぐらいだ。

 それにしても、女の家に上がるなんて、恵梨香との恋人時代以来だ。
 不思議な気持ちがする。
 恵梨香に申し訳ないような、それでいて、大晦日の非日常的な雰囲気に浮かれているような。

 もちろん、香ちゃんに気を使わせてもいけないので普段通りを装ってはいた。

 当の彼女は、コンロから湯気の立つ鍋を運んできて、ちゃぶ台の鍋敷きに置いた。

「お、鯨かい」
「どんどん食べてね。私、食が細いほうだから、余しても仕方がないし」
「それなら遠慮なく。あ、その前に乾杯しようか」

 今年もお疲れさまでした、と挨拶して、お互いコップに瓶の生ビールを注ぎあって乾杯した。

 鯨鍋をつつきながら、今年あったことを思い思いに語らった。

「まさか、お隣さんとテキストのやり取りをすることになるとは思わんかったわ」
「私はそんな気がしてたけどね。筐体を搬入してるところを見てから」
「まあ、そうか」
「神社には何時ぐらいに向かえばいいかな」
「十一時過ぎでいいんでない? 今日の路面なら歩きやすいし、二十分もあれば着くから」
「そうだね。あ、このお肉いただき!」
「なんだよ、狙ってたのに」

 住み慣れた安アパートで、しかも隣の部屋で、身も心も温まる大晦日を過ごせるとは思ってもみなかった。
 少しは年末年始の書き入れ時が報われるような気がした。

「木戸ちゃん、お酒強いほう?」
「そうだな、弱くもないけど酒豪ってほどでもないな」
「したらビールあげる」

 香ちゃんはグラスに三杯ほどビールを飲んだだけだと思ったが、もう酔っているようだった。
 それに、鍋の取り皿には具が残ったままだ。
 
「ああ、どうしよう、お腹いっぱい。年越しそばが入らないかも」
「今年ぐらいいいんでないの? 大体さ、正月飯のあとに蕎麦食うほうがどうかしてるって」
 
 香ちゃんは、あはは、と笑った。
 どうやら酒を飲むと明るくなるタイプらしい。

「それもそうだね。あ、年が明けたらお雑煮持っていくから楽しみにしてて。二日か三日になると思うけど」
「いいの? そこまでしてもらって申し訳ないな」
「SEMで『もちつもたれつ』の精神が身についちゃってるから。私ひとりじゃ食べきれないから手伝ってよ」
「したらありがたくいただきます。仕事が落ち着いたら埋め合わせさせてもらうわ。『もちつもたれつ』ってやつで」

 かなわないなあ、といいながら、やはり香ちゃんは上機嫌そうだった。

「ああ、帰省しないのって本当に気楽」

 ふいに彼女がそんなことを漏らした。
 そして、独りでに身の上話を始めた。

「うち、両親がSEMの古株なんだよね。まだ電話公社の回線も強化されてないころ。あ、お父さんがエンジニアだったんだわ。なしてお母さんまでSEMになびいたのかはよく知らないけど」

 心底びっくりした。
 最近、SEMについてぼちぼち調べているが、ほとんどが歳若い。
 親子そろってSEMに参加しているという話には出会ったことがなかった。

「小さいころは、嫌で嫌でたまらなくてさ。ほかの子はおもちゃとか可愛い服とか買ってもらえるのに、どうしてうちだけケチくさいんだろう、って。だから、高校を出てからしばらく会社に勤めて、貯金できないぐらい遊んだりもしたよ」
 
 うまく相槌がうてなかったが香ちゃんは続けた。

「でも、血なんだろうね。お父さんが成人祝いにハイスペックなコンピュータを組み立ててくれてさ。物の試しにいじってたら、プログラミングに夢中になっちゃった。オンラインでいくつかコードも公開したりしてさ。そのころかな、仕事は嫌じゃないんだけど、遊んでも、遊んでも、空しく感じるようになったの。もともとお酒も強いほうじゃないし。それでSEMに参加して、シンプル・ユートピアで暮らし始めたら世界が変わったみたいに穏やかになったんだ。まあ、両親が普通だったらSEMもコンピュータもなかっただろうから、いまでも両親とはぎくしゃくしてるんだけどね」

 意外な話の連続だ。
 このままだと、聞いては申し訳ないことまでしゃべり始めそうなので、ストップをかけることにした。

「香ちゃん、ずいぶん饒舌だけど、だいぶ酔ってる?」
「うん。あはは」
「やっぱし。これから初詣もあるから無理しないように」
「はあい」

 二人で笑いあいながら、心の片隅が締め付けられるようだった。

 ムロアキの逮捕に、目の回りそうな仕事、それに香ちゃんとの出会い。
 あまりにもいろいろなことがあった。

 それに、若いころを思い返して、酒が進んだ。

 恵梨香が生きていたころは、大晦日に二人して鯨鍋をつついたものだった。