『実家の肉じゃが』がおいしかった話
僕が心の底からおいしいと感じた瞬間
2021年1月のある日、久々に実家へ戻りました。
コロナウイルスでなかなか実家に帰れない日が続いたのですが、
ようやく帰れる機会が巡ってきました。
その日は、家の中で読書などをしながら
家族と和気藹々とした会話を楽しんでいました。
18:00近くになり、夕飯がダイニングテーブルの上に並びました。
炊き立てのお米からゆらゆらと立ち昇る湯気
ふわ〜っと甘い香りのする肉じゃが
いい匂い〜と駆け寄る家族
テーブルを囲むように座った家族を確認し、
みんなで手を合わせて『いただきます!』と言ってから
肉じゃがから一口食べました。
その時、心の底から『あ〜おいしい。』という言葉が溢れました。
おいしいもの
おいしいものは人それぞれだと思います。
辛いものがおいしいと感じる人もいれば、
甘いものがおいしいと感じる人もいる。
僕は昔から肉じゃがが好きです。
昔サッカーをしていて、夜帰宅することが多くありました。
疲れ切った体で帰宅して玄関を開けると、キッチンの方から
ふわ〜っと甘くてジューシーな香りが僕の鼻をつつきます。
「ただいま〜!」と言いながら廊下を駆け抜けると、
テーブルの上に神々しい肉じゃががどっしりと置かれている。
手を洗うことも忘れて肉じゃがを頬張った時、『うめえ〜』となる。
みなさんにとって肉じゃがは好きじゃないかもしれませんが、
同じような経験があるのではないでしょうか?
『おいしい』と『たのしい』
みなさんに2つの質問があります。
Yes,Noで答えてみてください。
Q1:好きな人と食べる料理はおいしいですか?
Q2:嫌いな人と食べる料理はおいしいですか?
『おいしい』って、その環境によって感じ方が大きく変わると思います。
例えば、
・1日何も食べなかった後におにぎりを食べている時。
・甘いものを食べ過ぎた後の水を飲んでいる時。
・好きな人と一緒にご飯を食べている時。
別に普段から特別好きで食べている食事ではないものの、
いざこのような環境で食べてみると、
心の底から『おいしい』と感じるのではないでしょうか。
つまり、『おいしい』は『幸福感』と同じようなものです。
『幸福感』が生まれると、その時が『たのしい』と
感じるのではないでしょうか。
おいしいは『力』になる
おいしいご飯を食べている時の”自分の表情”って、想像できますか?
1人で黙々と食事している時の僕はできないです。笑
でも、誰かと一緒にご飯を食べていると、
なんとなくですけど、「自分もこんな顔をしてるのかな」と
想像できるのではないでしょうか?
『おいしい』時は、自然と顔に出ます。
その表情をみると、なんだか幸せになりますし、
これからの仕事も頑張ろう!と思えるようになります。
なので、本物の『おいしい』には強烈な力があると思います。
最後に
コロナウイルスによって
友人と膝を付き合わせてご飯を食べる機会が減りました。
飲食店は時短営業などで苦しい状況が続いています。
それでも、食べること『おいしい』には物凄い力がありますし、
これからの時代でも尽きることのない『たのしさ』だと思います。
オンラインでの活動も悪くないですが、
やっぱり外に出ることの楽しさ、人と会うことの大切さは、
ワクワクを創るためには必要なことなのかなと思います。