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新常態(ニューノーマル):「どう変化するのか」ではなく、「どう変化させるか」。

新型コロナウイルスの影響をずっと見ていました。実体経済のリアルな部分を目の当たりにしてきたことはもちろん、金融市場についても相当目に焼き付けてきました。

今回の件で、示唆的なことは多くありますが、今日は「アフターコロナと変化」というテーマで私見を述べたいと考えています。

「骨身に染みる体験」がマインドを変えた

私は基本的にアフターコロナにおいて、社会は変わっていくのではないかと考えています。なぜ変わるのかというと、ざっくりと述べならば、「骨身に染みる体験」をしたから。

得てして、人間は変化に躊躇いを持っています。それは、自然なことであると思います。特に悪い意味はありませんし、当然といえば、当然です。

変化はリスクだとやはり感じやすいもの。
例えば在宅勤務をする技術はあった訳ですが、制度の導入は遅かった。さらに、変化しない一定の合理性はあります。「仕事をするにあたり、うまくいかないリスクがある」というような考え方です。

でも今回は半ば強制的に在宅勤務をせざるを得ない状況に置かれていた企業もあった訳で、やってみたら、「いけるじゃん!」というあっけない部分もありました。(もちろん、課題はありますので、これから解決の道を探していくでしょう)

これはほんの一例にすぎませんが、山ほどあります。

今回は未知のウイルスであり、命に直結するものですし、「誰がいつ感染するか」が分からない切迫感もあったでしょう。命は、究極的に重要なものなのは言うまでもない。

変化しなければ、命に直結するーー。この体験は多くの人に刻み込まれたーー。

まさに「骨身に染みる体験」です。今回のコロナウイルスの社会への影響の本質は、この体験だと思うのです。

実は変化をしないことの方がリスクが高いということに気が付いたのではないかと考えています。今までも、「改革だ、改善だ」(政治だけじゃないです)との意識は漠然と持っていたけど、結局進まなかった。でも、今回そんな場合じゃなかったというのが分かりました。

少なくとも、今を生きる者のマインドは変わるでしょう。

新常態(ニューノーマル)は、勝手に出来るものでなく、作り出すもの〜問いの立て方

最近は、「新常態はどのようになる?」ということが言われますし、聞かれたこともあります。

ただ、思うのは、「新常態(ニューノーマル)」が先行して、マインドが変わるのではなく、逆です。つまり、今回体験したことによって生み出したマインドが「新常態(ニューノーマル)」を作り出すと考えています。

だから問いはこうでなくちゃ、いけません。

「どんな社会を作って、何を変化させていくべきなのか?」と。

取り立てて、私は全ての人が変わるだろうとも思っていないですし、変えるべきでないという部分もあると思います。まあ、「意外とあんまり変わらなかったね」で終わる可能性もゼロではない。

でも、「どうなるのか?」と「どうするべきか?」という問題設定の方向性の違いは大きいです。受動と能動。この方向性の違いによって、行動が変わります。

ビジネス、投資、投票、生き方などなど・・・・。

最後にもう一度、問います。

「あなたは、新業態(ニューノーマル)はどうあるべきだと思いますか?」

ぜひ、考えてみてください。今後のムーブメントは皆さんの「骨身に染みた体験」からどう考えるかで、将来の様相は変わってくるでしょう。



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