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懐かしい歌声

学生たちの帰宅時間。
黒い制服に身を包んだ男子中学生たちが夕暮れの道を楽しそうに歩いている。

おしゃべりに夢中になっている集団の横を車で慎重に通り過ぎ、道を曲がって住宅地の奥に進む。すると、同じ制服を着た後ろ姿をもう一人見つけた。

こちらもゆっくりと追い越す。その時、窓越しに彼が両腕を大きく動かしているのが見えた。


胸に風をかき集め、解き放つような動き。


あ、合唱コンクール。


校内合唱コンクールは、確かこの時期だったはず。彼は指揮者なのだろうか。車通りが少ない住宅地に入り、ひとりになったところでこっそり練習していたのかも。

彼の頭の中には、いや手指の先にもきっと課題曲のメロディが流れ込んでいるのだろう。

そして腕を振るたび、抑揚をつけたクラスメートの歌声が耳元に押し寄せて一人ひとりの顔が浮かんでいるのかもしれない。


私が中学生の頃、クラス皆で「1位」を目指して放課後に何度も練習したことを思い出した。
私は合唱部に入っていたので、たしかパートごとのリーダーの1人に選ばれたこともあった。
部活で先生に指導されていることをクラスメートにも必死に伝え、もっと声をまとめるには?もっと良くするには何が足りない?と毎日考えていた。


口数が少ない子も、自分とあまり仲良くない子も、ふざけてばかりで真面目とはいえない子も、合唱の時は顔を上げて同じ方向を見て同じ歌詞を口にする。

歌っている途中でふと冷静になると、一生懸命に歌うクラスメートの声があちらからもこちらからも聞こえてくるのが何だか不思議で、嬉しかった。


当日、ステージに上がり観客と向き合うあの瞬間は、今も思い出すと緊張して胸が鳴る。

指揮者を見つめる。ピアノの音に集中する。同じタイミングで息を吸い、口を開ける。
早すぎず、遅すぎず、クラスメートの声を拾いながら、自分の声を信じて、まるで生き物のように大きくうねる歌声のその一部になれるよう、振り落とされないよう食らいついていく。


体という隔たりが無くなり、声だけが自分を包みこみ、ここにいる全員と魂ごとひとつになったようなそんな感覚。

自分の声なのか誰の声なのか分からなくなり、ただただ曲の終わりまで走り抜ける。
あの疾走感が好きだった。



車は住宅地をさらに奥へと進み、先ほどの中学生はバックミラーにも映らなくなってしまった。

彼の指揮が、幾重にも重なる歌声をひとつにまとめ上げるのだろうか。
もしかしたら、指揮者ではなく実は歌う方を練習していて、リズムを取るために腕を振っていただけかもしれないけれど。



指揮者になった人は、その腕によってクラスメートの素晴らしい歌声が引き出されますように。

伴奏者になった人は、その音色が仲間の声を導き、観客の心へとさらに響かせますように。

歌う人たちは、仲間を信じて、自分を信じて、練習を積み重ねてきたその成果を最大限に発揮できますように。

そして、勝っても負けてもその思い出が、感動が、未来のふとした瞬間に楽しく思い出されますように。


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