ハングリータイガーとブレイクスルー
2022年11月10日木曜日、午前11:30。
私は息子とハングリータイガーにいた。
四人席に二人で並んで座り、ランチのハンバーグを待っている。
小学一年の息子は本来ならば今頃学校に居るはずだった。
ある朝から突然泣きながら「学校に行きたくない」と訴えるようになったのだ。
これが行き渋りで終わるのか、はたまた不登校への入り口なのか、現時点では判断がつかない。
学校が辛いなら無理に通うことはない。別に命が取られるわけでもないのだから。
行きたくない理由があるのだろうが、無理に聞き出そうと詰めても7歳ではうまく説明できないだろう。
ある日突然行きたくなって、また学校に行くかもしれない。
息子が「行きたくない」と言ったときは休ませることにしていた。
不登校で人生が終わるわけではないので、無理に学校に行かせるのはやめようと心に決めた・・はずだった。
ハングリータイガーに入る少し前に放った息子のひと言が、私の決心を揺るがせたのだ。
今朝登校直前に「学校が辛い」と行き渋った息子を休ませ、散歩に連れ出すことにした。
目的地は歴史博物館で、隣には遺跡公園もある。
たくさん散策し、よく歩いてお腹が空いたので、近くにあるハングリータイガーに入ることにしたのだが、歩き疲れた息子が不満気に
「足がすごく疲れた。学校に行くより辛い」
とボソッと言ったのを私は聞き逃さなかった。
もしかして、息子の言う「辛い」のレベルは限りなく低い段階なのではないか?
こんなことで休ませていたら、彼を潰してしまうのではないか?
そんなことがよぎり、眉間に皺が寄る。
息子の「学校に行きたくない」が、急にワガママな現実逃避に思えてきたのだ。
現実を受け止められず自分探しの旅に出たり、下準備もしないのに海外に行けば成功できると豪語するタイプの人間と息子が重なって見えた。
横でワクワクとハンバーグを待つ息子の笑顔をみながら、寂しそうに一人登校して行った小学三年生の娘のことを思い申し訳なく感じた。
視線をテーブルに落とすとハングリータイガーの説明書きが目に入る。
「牛肉は気分を明るくする食品の一つ」か。
文章を読んだ途端、記憶が蘇る。
全く同じ文章を3年前にも読んでいたのだ。
2019年秋、ちょうど今頃のことだ。
当時幼稚園年長だった娘に構音障害(言葉の発音に難あり)が見つかったのだ。
療育センターでは間に合わないということで、小学校入学と同時に通級指導教室へ通える手筈を整えるため、窓口である保土ヶ谷にある特別支援教育総合センターに相談に行った。
娘は週に一度、通っている小学校とは別の小学校へ行き、発音の訓練を一時間受けてから登校することに決まった。
総合センターへは夫が運転する車で行き、帰りに保土ヶ谷のハングリータイガー本店で遅めのランチをとったのだった。
その時も少し気分がナーバスになっていて、テーブルの紙に書かれた全く同じ文章に気持ちが助けられた。
過去に思いを馳せていると熱い鉄板に乗ったハンバーグが到着した。
紙ナプキンを胸元まで上げるよう促され、言われるがままにナプキンを持ち上げる。
店員さんがハンバーグを切り分け、ソースをかけるとパチパチとソースが爆ぜる。
「このまま60秒ほどお待ちください」
そう言って下がる店員さん。
この60秒の間、様々な記憶や感情が脳裏を巡る。
緊急事態宣言で4月から通うことは叶わなかったものの、宣言明けからは毎週娘と通級に通った。
息子は義父が幼稚園に送ってくれたので、通級に行く前と学校に送り届ける時は娘と二人で過ごすことができた。
結果娘は一年生のうちに発音が改善し、二年生に進級と同時に通級も卒業となった。
娘は一つの障壁を無事乗り越えることができたのである。
息子もあの時の娘と同じように壁にぶち当たっているのだ。
ハンバーグをひと口頬張る。
つなぎも玉ねぎも入っていない、牛肉100%のハンバーグは確かに元気の出る味だ。
息子もきっといつかブレイクスルーする日がやってくる。
それがいつになるのかは誰にもわからないが、きっと必ずやってくるだろう。
そこまで結論づけたところで、私は考えるのをやめた。
目の前のハンバーグを味わって、ホクホク顔でハンバーグを頬張る息子の姿を心に刻むことに集中しよう。
苦悩も苦労もいつかは思い出になり、きっと今日のことを懐かしむ日が来るだろう。
子供達が子供でいられる時間は、渦中にいると永遠のように思えるが実際には光陰の如く短い。
手のひらいっぱいにかき集めた砂が、指の隙間から溢れ落ちていつかなくなってしまうように、静かに、着実に、子供達といられる時間は失われていく。
だから今を精一杯噛み締めよう。
そんなわけで、我が子たちのブレイクスルーの始まりには、いつもハングリータイガーが見守ってくれるのであった。ありがとう。
2024年 3月末追記。
結局息子の行き渋りは一年生が終わる頃まで続いた。
行き渋りで済まず、登校できない日は一緒に動物園に出かけたり日常の買い物に行ったりして過ごした。
職場にも状態を話し、遅刻や突発休みに対応できるよう仕事もセーブした。
ただ、一緒に行けば通える日の方が多かったので、朝は教室まで送り届け、休みや早上がりの日は下校時に学校まで迎えに行き、私の手が回らない時は、夫や義父母にも協力してもらった。
2月に入ると、学校の様子を楽しそうに語るようになったので、私は送り届ける距離を段々と短くすることにした。
教室→昇降口→校門→自宅近くの横断歩道→自宅前→玄関先、という順に。
春休みを迎え二年生に進級すると、何事もなかったかのように一人で通学するようになった。
そしてこの春休みまで丸一年、行き渋ることは一日もなく、もうすぐ三年生になろうとしている。
未だに学校に行きたくなかった理由ははっきりとはわからない。
実は学校の中でなく、通学や下校中に何か嫌なことがあったのかもしれないし、
私をはじめ家族の顔をクラスメイトが知ることにより、嫌なことが起こりにくくなったという可能性もある。
はたまた最初から外部に原因はなく、息子の中でなんとなくめんどくさくて行きたくないレベルだったのかもしれない。
もしかしたら息子自身ですら、よく理由がわからないのかもしれない。
とりあえず息子は無事に一つの障壁をブレイクスルーしたことをご報告します。
きっとまた、さらに高い壁があらわれるだろうけれども。