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勤務年数が長い=教え方がうまいのか。答えは否だと思う。


※教育ってこあるべきだ!と思って話していません。ただの戯言です。

「新人が入ってくるので教育お願いね」

ってなる矛先ってなんで、勤務年数が長い人なんだろう。
勤務年数が長いと教えるのがうまいのか?
多分そうではない。教えられるぐらいの「経験」があるだけで
教える力がある。教えることに長けているかは別だ。

「これはこうやってこう」と感覚で話す人もいれば
「なんでこうなると思う…実はね・・・」と説明から入る人もいる
感覚派、理論派どっちが適しているかってのは教える「新人」によると思う。

新人が感覚派なら理論派の先輩の話には理解が少ないだろうし
理論派な新人なら感覚派の先輩の話は理解が少ないだろう。

「両方をうまく使い分ければ・・・?」その問いは正解か不正解かはわからないけど「両方使えれば使った方がいい」ことはたしか。
ただ、「自分は両方使える人なのか」を理解していることも大事

「あの新人、全然覚えが悪くて…ダメね」
それは何をどうしての評価だろうか。自分の感覚かそれとも自分の理論に合わなかったからか

「相手の気持ちで考える」これも使えるカードだけど
新人の気持ちってもう何十年前のことだよ!って投げ出す人も中に入る。だけど買い物とかテレビとかで新しいものを見たとき触れたとき自然と教えを請うことはないだろうか。

「これってなんですか?」「どうやって使うの?」
そこに自分が勤め上げた勤務年数は一切関係ない。
それを説明する人が自分より年下でも敬語になるしお礼も言う。

なぜ、会社で自分が働く新人を教える立場になるとそれが難しくなるのだろう。勤務年数が邪魔してる場合だってある。「私はここで何年もいるの!わからないことはない」「この業界に入って何十年になります」
時代は変化している。常識だったことが月日の流れで非常識にもなるし主流から外れることはある。それに「気づけているか」そこも大事なところだろう。

教えるのがうまい人ってどんな人だろう?
「優しい」「物知り」「熱血」「表情」「話し方」
どれも大事だけど・・・・意外と「平等」とか「目線」なのかもしれない。

上下関係なく「一緒に学ぶ」と言う姿勢。
教えることで教わることもあるし教わることで学ぶこともある。
そんな循環でやっていれば上から「こうだ!」って言わなくなるし
教えてもらう側も「あ、こうやればいいんだ」となるんじゃないかな〜
関係性は上下ではなくて「前後」
「たまたま前にいたので私の方だけど向かうゴールは一緒です。みんなでゴールするために私の走って来た道を使って」と経験や知識を後ろ(新しく入って来た人=新人)に渡す。そうすれば後ろはより早く前に行くことができ前はより前を向くことができる(って思っているんですがこの考えは変なのか?見当違いなのか?)

とかく、勤務年数が長い=教えるのがうまいは否。
どれだけ「平等」に「目線」を合わせているかが教えるのがうまい人だたりするんじゃないかと仮説を立ててみる。

ありがとうございます! おいしいものを食べて、エネルギーにします!!