「じぶん語」の翻訳作業
先日『嫌われる勇気』で有名な古賀史健さんの本を読んで、「頭の中を翻訳する」という表現が出てきたときに思ったことを書く。
私はときどき、変な言葉遣いをするそうだ。
これは極端な例なのだが、「寂しい」や「手持ち無沙汰」なことを「おなかすいた」と言う。
自分でもおかしいと思う。けれど、私にとって1番しっくりくる表現が「おなかすいた」なのだ。
ではこの起源は何なのかというと、寂しさを紛らわせるための過食から来ている。
私は幼少期からどうも人間関係をうまく築くことが苦手で、友人もほとんどいなかった。
ちゃんと話せるようになりたい。学校外でも遊べるような友達がほしい。
でも余計なことを言ったり、相手を傷付けてしまうことを無意識にしてしまったりするのはもう嫌だし、今更話しかけるのもきつい。
その板挟みのストレスで、私は過食に走った。
その経験から、「寂しい」が「おなかすいた」に変換されるようになった。
何も、言い間違えるとかそういうレベルではない。
もう自然に、みなさんがお腹空いたときに「おなかすいた」と言う感覚で変換して発している。
ただ、じぶん語には大きな欠陥がある。
何がダメかと言うと、全く相手に伝わらないこと。
このnoteを読んでいるあなたは、私ほどひどくはなくても、自分の表現が相手に全く伝わらない経験をしたことが少なからずあると思う。
それでも、人として、文章を書く者として、相手に伝わるように伝えることは何よりも大切なことだ。
私自身もうまく言えている自信は全くないが、それでも以前よりはマシになったと思う。
相手に伝わる伝え方の第一歩が、「じぶん語の翻訳」になる。
今まで自分がしてきた表現を、相手の視点を持って考え抜き、よりよい伝え方を模索していく。
それが今noteを読んでいるあなたも、これを書いている私も、必要になっているのではないか。
どこで終わらせたらいいかわかんなくなったから終わり。
今日の記録
⬇なぜこんなことしてるかはこの記事を見てね
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