あり得ない日常#84
「あとね、ここで塩と胡椒をこのくらい入れるのよ。」
ひゃっ
社長の奥さん、咲那さんの横に並んで料理を教わっているのだが、あれから少し大きくなった長男君がおなかすいたと後ろから抱き着いてくるもんだからびっくりする。
「…っ。」
あっ大丈夫ですか?
後はやるので休んでてください。
「ごめんね、ちょっと横になるね。
ほら、もうすぐ出来るから困らせないの。」
お子さん二人にはもうすっかり懐かれているが、素直には喜べない。
咲那さんは具合が良くならないようで、共に食卓にはつかなかった。
初めてこの子たちに会ってもう3年が経つ。
あんなに小さかったのに子供の成長は早いなと実感する。
ね、算数が得意なんだって?
「そうだよ、社会は苦手だけどね。」
へえ、やっぱり社長の息子さんなんだねえ。
「パパもそうなの?」
社長も?そうだよ、だから今の会社が作れたんだろうね。
最初はお金が無いからって中古の機械をかき集めて始めたって聞いてるよ。
「そうなんだ。
それって難しいの?」
そうだねえ、きみのパパが高いものを手に入れて出来ることと同じことをどうやったら実現できるかを計算したり、考えたりしていなかったら、きっと今わたしたちはここにいなかったはずだよ。
「そっか。」
「ねえ、パパってすごいの?」
おにいちゃんが納得したかと思うと、その真似をするように弟くんがポテトサラダを口にしながら尋ねてくる。
うん、すごいんだよ。今だって、お仕事で遠くに出かけてるくらいだから、パパがいないとみんな困るんだから。
「そっかあ。」
返事までお兄ちゃんの真似をしているようだが、わたしが言いたいことはきちんと伝えておきたい。
咲那さんは由美さんより少し年上くらいで、世代は大して変わらないのだが、少し前からガンを患って入退院を繰り返している。
見つかった時にはすでにそれが無数にあって、治療をするにもどのみち大変な思いをすることになると言われてしまった。
まだお子さんたちが小さいこともあって、一度はどんなにつらい治療でも乗り越えようと思ったそうだ。
だが、病院でずっと過ごすよりも、子供たちの傍にいる事を望んだ。
たまにお邪魔をしていたこともあって、すっかり咲那さんと仲良くなっていたわたしは、そのお手伝いを何となくやっている。
由美さんも藤沢さんと同居を始めたので、まるで姉を取られたような感覚にちょっぴりなっていたのだが、今ではこの子たちと過ごす時間が多くなってきた。
この子たちには、どんな風に思われているだろう。
社長は、ありがとうとだけ言ってくれている。
わたしはこういう時間を過ごして、果たして正しいのだろうか。
※この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在する人物や団体と一切関係がありません。