あり得ない日常#73
「…お、久しぶりだね。」
…ん、元気そうだな。
講義を終えて少し外の空気を吸おうと部屋を出ると、ユカの姿があった。
シェルターのミーティングルームは、居住区域と地上階の街へと続く関係者しか通れない通路にある。
実質、技術者のみが定住することを許されているこのシェルターへは、周囲に集落をつくり生活する人たちが収集した資源や資料を運び入れるときに訪れることが出来る、ある意味楽しみな場所となっている。
それは、同時に各地からの食料を含む産品や衣料品などを手に入れる数少ない機会でもあるからだ。
氷に覆われた世界というだけならまだいいが、膨大な劣化プラスチックの粉末が空気中を漂い続ける世界だから、外での生活は余計に困難を極める。
人が外でのびのびと生活できる日はまた訪れるかわからない。
先ほどの講義では、少しずつではあるが空気中の水蒸気が南極と北極にて氷と固化するとともに、プラスチックも取り込んで積もり続けているという話もあった。
ただ、人間が再び地上での生活権を取り戻すには、まだまだ膨大な時間がかかるようだ。
あの日、おれたちがシェルターから外へと帰る日の朝に、一緒に帰ると思っていた幼馴染のユカの姿はなかった。
帰る前日の夜、確か集められた資料に目を通しているとユカが現れ、贈り物をもらったという話をしていたが、そんな話をした裏には複雑な事情があったらしい。
ユカの歳はたぶん、おれのひとつ下の十七歳のはずだが、その腕には生まれたばかりの赤ん坊を抱いている。
シェルターはかつての文明の力で、先人たちが後世に生きる子孫のために地中に造られた建造物だ。
まだ仕組みははっきりしていないが、雲の晴れない外よりは明るい照明が設置されていて、時折下層にある機械が噴き出す蒸気の音が聞こえる。
故障する前にその仕組みをはっきりさせないと皆そろって生き残ることを諦めなくてはならなくなるかもしれない。
ユカの腕の中にある赤ん坊の目にはキラキラと天井の照明が映り込んでいて、んー、あー、と何やら楽しそうにお話をしているようにも聞こえる。
「まだいるかなあ?」
ん、今講義終わったばかりだから、もう少ししたら出てくると思うよ。
ユカの子供の父親は他でもなく、講義を担当している技術者の彼だ。
「そか、ありがとね。」
それだけ言うと、ユカはおれが出てきたばかりのミーティングルームへと入って行った。
あの元気そうな姿を見る限りでは、ここの生活は良いらしい。
空気が汚染されている世界だから、土壌もプラスチックが積もるために、作物を育てるのも大変な手間と労力がかかる。
人間が進化する過程でいたはずの動物たちもとっくの昔に滅びてしまったがために、狩りをすることもできない。
少なくともここでは、大豆をはじめとした作物や、鳥、魚などのタンパク源を生産できる。
そして、アルミ金属加工が可能なので缶詰にできるのも大きい。
おれが技術者になろうと思ったのは、どこかですれ違ってしまったユカのことがあったからだと思う。
※この物語はフィクションです。登場する人物や団体は架空であり、実在する人物や団体とは一切関係がありません。