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【パワスポ巡り】浅草七福神巡り

2024年3月23日
浅草七福神巡りをしました。

【今回巡ったコース】

❶浅草神社(恵比寿神)→
❷待乳山聖天(毘沙門天)→
❸今戸神社(福禄寿)→
❹橋場不動尊(布袋尊)→
❺石浜神社(寿老神)→
❻吉原神社(弁財天)→
❼鷲神社(寿老人)→
❽矢先稲荷神社(福禄寿)→
❾浅草寺(大黒天)

七福神なのですが、全部で九箇所あります(*^_^*)

浅草神社を出発し、時間をかけて各所を参拝し、最後はスタート地点の浅草神社隣にある浅草寺まで回りました。
途中ランチを食べたり休憩しながら進んだので、
9時半スタート13時半終了と4時間かかりました。

全部の御朱印をいただきました(*^_^*)

途中で休んだりランチしていたり、別の神社に寄ったりしていた時間が加算されますから、寄り道しなければもう少し早く回れると思います。

今回巡ったことで、浅草は浅草寺周辺や浅草駅しか行った事がなかったので、地理的なことも含め一気に詳しくなれたかな(*^_^*)

御朱印は真ん中に来るのは最後に行く場所。
その場所が叶えたい願いの神様がよいとのことで。
縁結びとか金運とか健康とかね。
私は「仕事運」をあげたかったので、浅草寺をラストにしました。
人によってコースはどこから回っても問題ありません。
ご自身のアップしたい神様をラストにしましょう。

ではまずは、浅草神社からスタート。

浅草神社は恵比寿様を祀ります。
「三社様」とも呼ばれています。

推古天皇36年(628年)3月18日のこと。

漁師の浜成・竹成兄弟が宮戸川(現在の隅田川)で漁をしていました。
すると、網に同じ人形の像が繰り返し掛かったのです。
兄弟は、この地域で物知りだった土師真中知に相談しに行きました。
「これは聖観音菩薩像である」と教えられ、二人は毎日観音像に祈念するようになりました。

その後、土師真中知は僧となり、自宅を寺としたのですが、これが浅草寺の始まりとなりました。

真中知の没後、真中知の子の夢に観音菩薩が現れ、そのお告げに従って真中知・浜成・竹成を神として祀ったとされます。

うん。
すごいですね。
漁師さんだったから恵比寿さんなのですね。

浅草神社(恵比寿神)
浅草神社(恵比寿神)

↓徒歩10分
待乳山聖天(毘沙門天)

当山は推古天皇の御世、地中から忽然湧き出た霊山で、その時、金龍が天より降って山を廻り守護したと伝えられています。
それより6年後の夏、この地方が大旱魃に見舞われたとき、十一面観世音菩薩が悲愍の眼を開き、大聖歓喜天(だいしょうかんぎてん)の姿となってこの山に降臨されて、 苦しむ民を救いました。これが聖天様が当山に鎮座された起源であるといわれています。

聖天様の信仰 | 待乳山聖天 (matsuchiyama.jp)

実はこの寺は小さな丘の上にあるのですが、なんとこの丘は595年9月に出現して龍が守護したと伝えられるとのこと。浅草寺の山号(金龍山)の由来となったと書いてあり、知らなかったと驚きました。

浅草寺の山号には確かに龍の名がついているし、有名な雷門に下がる巨大な提灯の下に龍が掘ってあるし、龍を前面に押し出しているとは思っていましたが,まさか龍が出現した伝説があったなんて。
勉強不足でした。

また、写真では暗くてよく見えませんが(この日は雨模様で暗かった)ですが、お外にある観音様の像は「出世観音」様です。
この旅では初日から愛宕山の出世の階段を上ったり、人生が変わるほどの仕事などで成功すると言われている三峯神社に行ったりしていましたが、最終日にも「出世」に出会えるなんて。

待乳山聖天(毘沙門天)
待乳山聖天 出世観音様

↓徒歩6分
今戸神社(福禄寿)

招き猫発祥の地とされているそうです。

江戸時代の地誌『武江年表』または日記『藤岡屋日記』の嘉永5年(1852年)の記述によれば、浅草花川戸に住んでいた老婆が貧しさゆえに愛猫を手放したが、夢枕にその猫が現れ、「自分の姿を人形にしたら福徳を授かる」と言ったので、その猫の姿の人形を今戸焼の焼き物にして浅草寺境内三社権現(現浅草神社(三社様)鳥居横で売ったところ、たちまち評判になったという。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/今戸神社
今戸神社(福禄寿)
今戸神社 拝殿の中にも招き猫

↓徒歩15分
橋場不動尊(布袋尊)

天平宝字四年、奈良東大寺大仏の建立に尽力した良弁僧正が、相州大山寺で、一刀三礼して刻まれた一木三体不動(一本の木で三体の仏像を彫る)の随一と称せられ、悪魔降伏の威想を備え、信ずる者には必ず霊験を与え給う不可思議の尊像として、古来よりご秘仏としてあがめられています。

https://www.fudoin.jp/history/
橋場不動尊(布袋尊)
橋場不動尊(布袋尊)

↓徒歩5分
石浜神社(寿老神)

聖武天皇の神亀元年(724)9月11日鎮座。
文治5年(1189)、源頼朝の奥州征討に際しての社殿の寄進、弘安4年(1281)、蒙古襲来の折、必勝を祈念しての、鎌倉将軍家お取り次ぎによる官幣(かんぺい:天皇から神に捧げる礼物)のご奉納などを経て、中世初めには大社としての発展を見ました。

https://www.ishihamajinja.jp/ご由緒

かなり由緒のある場所で、綺麗な空気でした。
富士遥拝所があり、そこから流れるパワーは圧巻でした。

富士遥拝所
石浜神社(寿老神)

↓徒歩25分
吉原神社(弁財天)

吉原とは、遊郭のあった吉原のこと。
あれはかつて浅草にあったのです。
浅草の「仲見世」と聞くと、遊郭の大見世、中見世、小見世のことが連想されてしまうのです。
遊郭というワードは苦しみや悲しみが浮かんでくるので、記念写真に子どもに花魁の格好をさせた的な記事を見た時に、思わず目を閉じてしまいました。
(申し訳ないんだけれど,個人的には、歴史を学んでから選んでみようかと言いたくなる的な)

そんな吉原の女性たちが通っていたであろう神社。
社務所の方に教えてもらい、 「吉原弁財天本宮」も行きました。

とても美しい場所でしたが、この日参拝中に唯一雨が降ったタイミングでもありました。

吉原弁財天本宮の弁天様
一番奥に滝がありました
こちらは七福神巡りの吉原神社
吉原神社(弁財天)

↓徒歩3分
鷲神社(寿老人)
酉の市で有名な神社です。

江戸時代から鷲神社は、「鳥の社(とりのやしろ)」、また「御鳥(おとり)」といわれており、現在も鷲神社は「おとりさま」と一般に親しまれ崇敬を集めています。十一月の例祭も現在は「酉の市」と広く知られていますが、正しくは「酉の祭(トリノマチ)」と呼ばれた神祭の日です。

https://otorisama.or.jp/sm/torinoichi/
鷲神社(寿老人)
鷲神社(寿老人)

↓徒歩18分
矢先稲荷神社(福禄寿)
天井画が有名とのことで,中に入れてもらいました^_^

矢先神社のご神像は拝殿右手に奉安されています。 長寿の象徴の鶴をはべらせ、白髪白髯、調和のとれた円満な福相をされており、人の最高理想の姿をあらわしています。

http://www.asakusa7.jp/yasaki.html
日本乗馬史をモチーフにした100枚の天井画
矢先稲荷神社(福禄寿)

↓徒歩30分
浅草寺(大黒天)

さあさあ、みんな大好き浅草寺(何度目かわからないくらいきている笑)

浅草寺(大黒天)
浅草寺(大黒天)

おまけ
こちらは夜の浅草寺

七福神巡りは鎌倉とこちらで二つ目なのですが。
日本橋とか銀座とか、他にも全国にたくさんあります。
それらを回るのが目標です。

次はどこに行こうかな。

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