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【七十二候】季節と言葉たち〜菊花開 (きくのはなひらく)
かつて暦として使われていた一年を五日ごと七十二に分ける七十二候。その名称は気候の変化や動植物の様子が短い文で表されています。美しい言葉なのでそれをテーマに、作家の方の名文や創作したエッセイを綴ります。
七十二候:第五十候 「菊花開 (きくのはなひらく)」
(10/13~10/17頃)
「菊花開 (きくのはなひらく)」
季節がだんだん寒くなり、菊の花が咲き始める頃となる意味です。
テーマ「菊花開 (きくのはなひらく)」について
菊の花は仏花のイメージが強いですよね。でもあの形(フォルム)結構好きで、仏花であると区別するのは違うのかなとも思います。
とはいえ、あまり写真に撮っていなかったようで、菊の写真は上にあげたくらいしか見つけられませんでした(苦笑)
ちなみに皇室の家紋が菊の御紋なので、日本の花のイメージもありますが日本の国の花は桜。(こっちもイメージピッタリ)
つまり菊は高貴な花なのだろうと思います。
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明治44年皇太子殿下(大正天皇)が行啓時にお座りになられた椅子にある菊の御紋
もっと菊の御紋について知りたくて色々調べていると、
楠木正成が使った紋は「菊水」と言われています。これは忠義に厚い正成に後醍醐天皇が感謝の気持ちを込めて菊の紋を下賜したことによるとされています。しかし楠正成は、天皇家の家紋など自分の身に余ることだと思い、そのため正成は菊の花が川の流れにゆっくり身を任せているような美しい家紋を使うようになったと言われています。これが菊水紋ということです。
とあるのを見つけまして。
あれ?
札幌市白石区にある菊水ってもしかして楠正成の子孫が開拓したから「菊水」と名付けられたの?と考えたのですが。
でも確か白石区(大泉洋が出ていたことで知られる「水曜どうでしょう」のコーナーで見たことがあるホワイトストーンズはこの白石区のヒーロー)は、仙台藩の白石城主であった片倉小十郎の元家臣たちが移住したので「白石」になったはず。
それに楠正成って鎌倉時代っていうか、室町時代当たりの人では?
「逃げ上手の若君」にも出ていたし。
子孫が白石区のこの地区のみを開拓したのかな?と菊水の由来を調べてみたら、
菊亭脩季の「菊」と豊平川の「水」にちなんで一帯は「菊水」と命名
全然違った。
それに菊亭脩季って誰?って思うけど、今度にしようかな。
いや、今日調べないと二度と調べない気がするからちょっと探す。
華族(清華家)の菊亭脩季〔安政4年~明治38年〕は明治11年北海道に渡り、翌12年3月開拓使官業課に勤務。
明治15年開拓使廃止の後、農商務省札幌勧業育種場詰を命ぜられ、続いて明治16年3月北海道農業管理局事務取扱となり、同年札幌農業事務所副所長となった。明治19年5月官を辞し、9月上白石村において農園を経営した。
この農園が菊亭であり、菊亭があったあたりを菊水と名付けたと。
うん、植物の菊は関係なかったです(笑)
七十二候の説明
「二十四節気」は、立春や夏至などを含む、半月(15日)毎の季節の変化を示すもの。
古代中国で暦として発達してきました。
これをさらに約5日おきに分けて、気象の動きや動植物の変化を知らせるのが七十二候(しちじゅうにこう)です。
こちらも古代中国で作られましたが、二十四節気が古代のものがそのまま使われているのに対し、七十二候は日本での気候風土に合うように改定されました。