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冬の乾通り(皇居)一般公開を見てきた話し
✴︎冬の皇居(2023年12月2日訪問)✴︎
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母の介護や今後のことを話し合うため、兄夫婦がいる東京まで姉とでかけまいて。ついでにパワスポ巡りもしてきたことについてレポートします(*^_^*)
皇居乾通り一般公開について
皇居乾通り一般公開は、平成26年に上皇陛下の傘寿を記念して、初めて春季と秋季に実施したもので、大変好評であったことに鑑み、平成27年秋季から、毎年、春季の桜の時期と秋季の紅葉の時期に実施しているものです。
12月2日は、午前中の飛行機で飛んで、午後から東京駅で兄夫婦と合流して話し合うはずでした。
が、東京に行った日が、「令和5年秋季皇居乾通り一般公開(11/25~12/3)」だったので、予定を変更して姉と兄夫婦と四人で乾通りを歩いてきました。
大学時代から東京に住んでいる兄と、兄の高校の同級生で、結婚してから東京に移り住んだ義姉は、お正月の一般参賀に何度か来たことがあるそうですが、こちらの一般公開ははじめてとのこと。楽しみ( *´艸`)
ちなみにこの日は、解放期間の中で最も人が多い一日(24,470人)でした。
『乾通り』とは皇居の乾の方角(北西)にある乾門から宮内庁庁舎前に至る通りの名称で、「乾門通り」とも呼ばれます。
入口となる「坂下門」は、江戸城西の丸造営直後に築かれた門で、 江戸時代には西の丸大奥に近く、西の丸の通用門として利用されていました。
とあります。
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皇居は日本有数のパワースポットです。松江城に行って以来、お城が好きになった私としては、たまらない場所の一つです。
東京駅から四人で坂下門に向かいます。
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うむ、すごい人。さすが土曜の昼下がり。
かなり待ってボディチェックが終わり、少し進むと何か門らしきものが。
どうやらあれが、坂下門なのか?(地図を見ながら確認する)
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帰って来て改めて地図で確認したら、坂下門は、江戸城から見たら、結構西の端にありました。
本丸(江戸城)から見て正面にあるのが大手門。
全国300もの大名ほか諸侯は、この大手門から入城し、三の丸、二の丸を経て本丸へと登城しました。
つまりは参勤交代の大名も、将軍に拝謁するための正規なルートとして、この大手門から入城したわけです。もちろん、フリーパスで入城したわけではなく、お供を含めて大手門から先、何重にもわたる厳しいチェックを受けたのです。
いったい皇居(江戸城)の門っていくつあるんだろう。今度しっかり調べておこう。
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門をくぐると最初に見えた景色。
皇居の中ってこんな感じなのね!(興奮)
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左の奥にある緑色の屋根の建物が、宮殿と看板が。
きゅ、きゅうでん??
そのすぐそばにこちらの建物が。
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これがあの有名な、く、宮内庁庁舎????
建物、歴史的建造物だったのね(嬉しくて涙目)
1935年(昭和10年)に建設された。現在の宮殿とは、渡り廊下(紅葉渡)で接している。
とあり、待って「宮殿と渡り廊下で接している」?と驚く。
宮殿って、リアル宮殿っすよね?
そして、少し行くと八方正面の櫓と言われる「富士見櫓」があります。
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江戸城の櫓のうち現存する唯一の三重櫓です。
高さ15mの石垣の上に立ちます。焼失した天守の代用として使われていた。そのため、ここから将軍が富士山や両国の花火、品川の海を眺めたといわれてたとのこと。
将軍様がここにいたのおおお~となる。
そしてこちらは富士見多聞
本丸内の松の大廊下跡(あの、松の廊下ですよ!)近くに、少し高台になっている場所があり、その上にあるのが「富士見多聞」と呼ばれる多聞櫓。江戸城本丸には15棟の多聞櫓があったけれど、富士見多聞はその中の唯一の現存遺構とのこと。
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この近くにあの松の廊下があったのかと感慨深い。当たり前だけど、この国の歴史の中心的な場所のひとつでしたからね。
しばらく進むと、「道灌濠」と看板が。
道灌ってあの道灌さんのことかな?と調べる。
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とてもきれい。乾通一きれいなスポットかもしれないと思いました。
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「道灌濠」はやはり太田道灌が由来のようです。彼が築いた城の外濠であったとの説があるためこの名になったとありました。
太田道灌は、江戸城を築いた人物として知られています。
そうだったのね。知らなかった。もっとお城のことを勉強しなくちゃ。
そのままずんずん進んでいくと、ゴールの乾門に着きました。
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乾門から出ると、なんだか普通の道路に出てしまいまして。
東京駅でお茶する予定なのに、皇居を横断して、国立近代美術館のところまで来ちゃいまして。ここはどこ?東京駅はどっち?となりました(苦笑)
ということで、地図を見て、東御苑を通って、東京駅に戻ることにしました笑)
常に一般公開している東御苑もすごくって。あちこちが平和でパワーにあふれていて。この近くで働いていたらここでお昼食べたいなぁって(*^_^*)
とはいえ、地図を見ているものの、把握できないまま歩いて行くと(皇居が広すぎる件)、本丸跡を発見!
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城がなくなったあとに残る松がよいですね。
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石垣がぴしっとしてかっこよいっす。
そのあとも皇居東御苑の中をよくわからないまま歩きまして。
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石垣の石の大きさがばらばらだし、形もいろいろで、どうやって組み立てたんだろうと石垣の奥をのぞいたら、砂利があったので。
え?なんで奥に砂利?
と呟いたら、建築家の兄がその理由を専門的に解説してくれまして。
けして手抜きなどではなく、地震があったときに、大きな石だけだとずれて崩れてしまうけれど、砂利が耐震装置となって崩れないからだよ、と。
そうそうなんだ!
とさっそくその辺の建物とか屋根とかあれは何かね?どういうことかね?と質問しまくる(笑)
歴史的建造物好きな人間にとって持つべきものは建築家の兄である(笑)
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江戸城百人番所は、検問の役目もありますが、幕府直轄の精鋭部隊、鉄砲百人組が有事に備えて詰めていたとのこと。
詰めていたのは、甲賀組、伊賀組、根来組、廿五騎組など。
とあり、ぎゃほ!!ってなりました。
こんな感じで普通に番所にいる感じだったの?
歴史が好きなのに、知らないことが山ほど見つかりました。
出口は大手門です。
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夕陽が沈みかけているお堀、最高に美しかったです。
また機会があったら乾通り通ってみたいです(*^_^*)