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3/23「スジャータの恋人」ショートショート
3月23日 スジャータの日
1976年のこの日、スジャータという商品名のコーヒーフレッシュが発売。
ちなみに修行中の仏陀に乳粥をささげた女性の名前がスジャータ。
仕事が終わり、疲れた体を引きずるようにして、わたしは会社から駅へ向かって歩いていた。
ああ、だめだ、今日は疲れすぎた。
わたしはひと息いれたくなって、途中にある某コーヒーショップに寄ることにした。
入店して注文したコーヒーを受け取り、椅子に体を投げ出し魂が抜けたかのごとくぼんやりしていると、斜め向こうに座る一人の女性が目に入った。
あれ、あの人は……
恋人らしき男性と楽しそうに談笑しているその女性がわたしの記憶をかすめた。
顔を見ればピンとくるのに、名前が思い出せない。
名前は思い出せないのに、自分が勝手につけて心の中で呼んでいたあだ名は思い出せる。
学生時代、アルバイト先のカフェで半年ほどお世話になったスジャータさんだ。
スジャータさんはちょっと個性的。
一般的な20代女性が興味をもつような、ファッションやメイクに興味はなく、セットも洗髪も楽なショートヘアに、動きやすさ重視のパンツスタイル、そして休憩時間はスマホではなく読書。どんな本を読んでいるのか気になって聞いてみたら世界の昆虫食についての本だった。恋愛にも興味はないのか、そういう話をふられてもにこにこと微笑んではぐらかす。
スジャータさんいわく、恋愛は日常的で身近なもの。それよりも非日常的で身近にないものに惹かれる、らしい。
スジャータさんは、みんながイライラするような態度の悪いお客さんでもにこにこと接客して、いつも穏やかでのんびりしている。だからどれだけ変わっていてもスジャータさんを悪く言う人はいなかった。
ところでなぜスジャータさんなのかと言うと。
キッチンでスジャータさんと二人で作業している時にわたしは目撃してしまったのだ。
スジャータさんが古くなったコーヒーフレッシュのふたを開け、ハンドクリームを塗るかのようにおもむろに手に塗り始めたところを。
わたしはものすごく驚いた。子どもの頃、弟がコーヒーフレッシュのあの小さな容器に舌をいれて中をなめまわしているのを見たときも驚いたけれど、手に塗られた時の方がもっと驚いた。
嫌とか変とかではなく、自分がまったくなじみのない異国の文化が急に目の前で展開されたかのような、衝撃的で印象深い出来事だった。
確かに、コーヒーフレッシュの原材料は油だから、肌は潤うのかもしれないが。
それを思いつくことも、実際手に塗ることも、わたしにとっては異次元の発想。
それ以来わたしの中で彼女はスジャータさん。
ちょっと変わっているけれど、わたしにはない発想力をもつすごい人。
わたしはコーヒーを飲みつつ、スジャータさんとの出来事を回想しながら彼女をちらちら見ていた。
それにしても……
わたしは彼女を見ながらついにやにやしてしまう。
スジャータさんの目の前には、褐色の肌が美しい恋人らしき男性が座っている。
スジャータさんの褐色の恋人。
コーヒーフレッシュ、スジャータのキャッチフレーズも「褐色の恋人」
わたしのネーミングも的を得ている。
にやにやしながら、仕事の疲れがほぐれていくのをわたしは感じた。
(了)