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ショパンと利休

ショパンの最後のソナタ、ロ短調3番の輝かしい最終楽章を聴く度、「ショパンはいったい何に勝利したと言うんだろう」と思う。ポーランドがロシアの支配から独立する、未来の勝利を祈ったという解釈が妥当だろう。

57歳まで生きたベートーヴェンには、苦悩を経て歓喜に至るために必要な人生の長さがあったと推測する。長生きだったリストも、晩年の曲を聴くと、人生を味わい尽くせた感がある。一方39歳で死んだショパンには、そうした境地に至るための時間は与えられなかったと思う。人生は長さではないので、本当のところは分からないけれど。

調を変えて繰り返されるキャッチーでかっこいい第一主題は、重ねるごとに左手が複雑になる。その様は、非情なカルマの車輪のようでもあり、時代を経て兵器が高度化•複雑化しながら、今も同じ状況が繰り返されるロシアとその周辺国のようでもある。

決然とした下降スケールが印象的な第二主題がコーダまで駆け巡って、高らかな勝利宣言に至るが、世界はまだ、このカルマの外にも出ておらず、暴力による支配構造に勝利もしていない。

ただ数年前にポーランドに行って、ポーランドの人たちにとって、それがなければ国自体失くなったかも知れないほどに、ショパンの音楽が大切な心の支えであることを感じた。

利休は秀吉に切腹を命じられた時、
「利休めはとかく果報のものぞかし 菅丞相になるとおもへば」と詠んだそうだ。
菅丞相は菅原道真のこと。

色んな解釈はあるが、この死によって茶聖となることを悟ったのだろう。70歳でどちらにせよ近く命を捨てるのならば、この捨て方は悪くない、と考えて命乞いをしなかったのではないか。

ショパンが自身が後世までポーランドの魂となる運命を知っていたか分からないが、どのピアニストも高らかに腕を振り上げる最後の一音が鳴る度、利休の辞世の狂歌が浮かぶ。