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シシガミの森

箱根山学校へ

大船渡で茶杓をゲットした後は、陸前高田に戻って、箱根山テラスへ。

私が参加したのは、2014年から毎年開催し、第10回(最終回)を迎える箱根山学校のプレキャンプ。バスツアーで生産者さんや道の駅、新たなエネルギー拠点、嵩上げして作られた中心市街地などを回った。

私が初年度に参加した頃、もう瓦礫は片付けられていたが、捻じ曲がった建物や流された船が残り、至る所でブルドーザーが土を掘り返し、ベルトコンベヤーが山を削った土を運んでいた。

役所の人が地図を持って来て、防潮堤と新しい街の計画について話してくれた記憶がある。行政と住民の軋轢の中最善の策を検討している様子に、心底大変だろうと思った。

今回、バスツアーの最後に行った中心市街地は、当たり前だが人工的で空きも多く、区画利用されている様子は、根を張っているという感じがしなかった。大打撃を受けた場所に都会式のやり方が入り込み、でもそうするしかなかったのだろう。

同時に、気まぐれにやって来てそんな風に感じる自分の無力さと無神経さにカチンとも来る。 

映画「先祖になる」

夜にみんなで鑑賞した映画「先祖になる」は、津波で息子を失った佐藤直志さんが、行政と闘い、妻に愛想を尽かされながらも被災した土地に家を建て直すまでのドキュメンタリー。そこにけんか七夕祭りなど、町内会の復興の様子も並行して描かれる。震災後のドキュメンタリーとしては最も早く撮られたものなのだそう。

先日お邪魔した大船渡の友人の親戚も、もう後何年も住めない(年齢的に)ことが分かっていながら、「1日でも自分の家で寝たい」と家を建てたそうだ。家族や親戚は困ったけれども、「おじちゃんがそうしたかったんだから、仕方がないね」とそれを許した。そのおじさんは、3年ほどその家に住み、そのあと施設に入り、亡くなったそう。その方が以前と同じ場所に建てたどうかは聞かなかったが、話ぶりからは、その人にとっては「自分の家」が大切だったのだと推測する。

映画の直志さんは、「先祖と離れることはできない」と、被災した後も仮設住宅には行かず、カセットコンロで煮炊きし、冬には雪が入ってくるような部屋で、ビールケースを並べて作ったベッドの上で眠る。 何百年続いた伝統芸能や行事、会社なんかを、自分の代で終わらせることは出来ないと思う使命感みたいに、祖父祖母の代からそこにいて、自分も一度もそこを離れたことのない、墓もすぐ近くにあるような土地を守るのは当たり前という感覚だったのではないか。それにここを離れてしまったら、ご先祖や亡くなった息子さんがどこに帰っていいのか分からなくなってしまうかも知れない。

直志さんはこの後新居に住んで、数年前に亡くなったと聞いた。きっとご自身の思っていたであろう「先祖」になった。でもこの先、同じようなやり方でその「先祖」を守って行けるのは、何世代先までだろう。

私は夕方に訪れた中心市街地の様子と、もののけ姫の最後のシーンでのアシタカの、「蘇ってもここはもうシシガミの森ではない。シシガミ様は死んでしまった」という言葉を思い出した。これは神様や精霊が失われたことを指した言葉だが、この土地では、地震や津波で失われたたくさんの人命や生活と同時に、この地域にかろうじて残っていた、土地と先祖が深く結びついているという感覚もまた、失われていったのだと思う。

シーベジタブルの友廣裕一さん

一方で、先祖を通じた繋がりに限らない、新たな土地と人の繋がりも生まれつつある。 塩害にあった土地でポットでぶどうを育てる農家さんがいたり、以前県庁職員だった人が林業と農業をはじめていたり、前回はプレハブだった食堂が立派な店舗を構えていたりした。

最終日には、友廣裕一さんがシーベジタブルを紹介してくれた。彼は蜂谷さんという研究者と一緒に、海藻の基礎研究や栽培技術の確立に取り組んでいる。私たちは前日バスツアーで、シーベジタブルの拠点を見学した。

ちょうど今伊勢丹新宿と日本橋三越で、120店舗以上とのコラボイベントというバイヤー主体の大規模イベントも開催されるので是非。

伊勢丹新宿 9月18日(水)~10月1日(火)
日本橋三越 9月25日(水)~10月8日(火)

この後の3泊4日の箱根山学校本番では、自分らしく、新たな支柱を作って行く人たちがもっとたくさん登場するだろう。

この10年

キャンプの最後は自然と、この10年を振り返って、という話題になった。 今回の参加メンバーは、福祉や環境、食、教育、ビジネス、研究者など、自分の持ち場で、それぞれのやり方で世界を照らそうとしている人ばかりだった。

私は昔に西村佳哲さんの本を読んだことががきっかけで10年前にこの学校に参加した。今回やその間に会った以前の参加者たちの様子から、この10年間に西村さんの発信した言葉や行動が同世代と次世代の人々の共感と勇気を呼び、時に生き方を変えて、それがそれぞれに育って来たことも感じられた。

西村さんが様々に開いているワークショップの性質やその時の参加メンバー、私自身の状態で感じ方が変わったのだろうけれども、以前はもっと、所在なげに自分を探している感じの人が多かった気がする。私もその一人だった。

箱根山テラスや新エネルギーを手掛ける地元の建設会社の代表である長谷川順一さんや、箱根山テラスの建設に携わったランドスケープデザイナーの長谷川浩己さん、前述の友廣さんも、それぞれの分野で若者たちの目標となり、支えとなったのだろう。

インターネットで拡散力を増した言葉や行動が、人のつながりを作り、種が木になり、林になり、森になるように行動が広がって行く。先祖や家族の概念が土地から離れて、より大きく、広くなってゆくと言えるのかも知れない。

土地と離れては人は生きていけない。シシガミの森を失っても、きっと新たな森で、繋がれて行くものがあるのだ。