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新潟茶事稽古~莨盆と露地傘~
新潟の茶事稽古へ
お茶の同門の生徒さんのご実家で茶事稽古をするというので、朝5時に起きてスキー客にもみくちゃにされながら新幹線で新潟に向かった。
茶事の流れすらよく分かっていないのに、先生に、「あなた、当日は半東(はんとう・茶事で亭主の補佐をする人)やってね」と言われた。そこで私は茶事の本を図書館で借り、茶事の流れに沿った半東の動きをノートに書きだしてみた。そこで気が付いたのは、「半東、いっつも莨盆(たばこぼん)を気にしている・・!」ということだった。食事の準備などは言われた通りにしていれば大丈夫そうだが、莨盆なんて触ったことない。それが4時間に渡る茶事の間に、種類を変えて3回も登場する。こんなの半東っていうか莨盆の見張り番だ(実際は違います)。
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左側の灰と炭が入っているのが「火入」。これを半東が整えます。
莨盆というのは、茶事の時謎に存在し、昔は茶事の合間にキセルに煙草の葉を詰めて吸った人もいただろうから、と小道具として出てくる。ずっとあれ何のためにあるのかな、使わないのに、と思っていた。亭主を待つ間の鑑賞用と言われても、「はぁ〜これはご立派な」としか言えない。しかし茶事において半東はいつも莨盆の中の火入を絶妙のタイミングであったかくしておかなければいけないようだ。
老師とのこっそり練習
困った時の老師だ。老師は近所に住む茶友で私よりずっと茶に詳しい。近所の公民館での「こそ練(こっそり練習)」で、火入と灰をせめて触っておきたいとあらかじめお願いした。
どんな道具が使えるか分からないから、家にあったバターナイフ、スプーン、へら、箸など思いついたものを全て持って行った。灰を押さえる道具なども割箸と厚紙で自作していったが、老師に「これは忘れましょう」と即座にしまわれた。日本香道で買い求めた灰は香炉用だったため全く量が足らず、ほぼ練習にはならなかったが、全体の流れと雰囲気だけは分かった。
水屋にずらりと並んだ、ほぼ使えないが莨盆への気合いと無知が伺える道具たちを見て、「こんなに莨盆に注目する人見たことない」と老師は笑った。「きっと先生やご亭主が用意してくれるから、そんなに心配しなくてもいいと思うよ」と言ってくれ、安心した。
が、そうではなかったのである。
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本気の莨盆
寒波に見舞われた新潟は、大粒の雪が舞ったかと思えば、晴れ間がのぞいたりと変わりやすい天気の朝だった。椿の蕾に雪がかかる庭を抜けて立派な邸宅に入った。そこには3種類の莨盆が並んでおり、あかんこれ本気のやつや、と悟った。
先生の指示通り、待合のための炭を出したり、雪で濡れないよう待合の円座(座布団)にシートを掛けたりなどを行った。「ちょっとやって見て」と言われて灰を作ってみたが、感動するほど下手な灰型が出来上がった。砂遊び現役の3歳児の方がもっとうまくやれるだろう。中央の炭を中心に放射状に火箸で跡を付けるのだが、線が渦状になり、南米やスペインの絵本の太陽みたいに、陽気さと禍々しさが同居した不穏な空気を醸し出していた。先生が笑いを堪えつつ渦にならないやり方を教えてくださった。
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周りの模様にばかり注目していたが、真ん中に黒く見える炭(火入炭)を、茶室でほの赤く見えるほど熱することが大事なのだそう。茶事全体の流れをサポートしつつタイミングよく温めることが腕の見せ所なのだそうだ。
そのうちに料理をしてくれる仕出し屋さんが入って来て、テキパキと仕事を始めた。料理がなければ半東の仕事は激減するためホッとした。
結局先生が作ったり、邸宅のもの静かな旦那さまが、私に気付かれぬようそっと直してくださったりして、私が作った灰型は使われなかったが、勉強にはなった。
露地傘
ワタワタしつつも茶事は進み、中立後の席入の頃、ぼたん雪が舞った。雨や雪の席入りの際、露地傘というものを使うらしい。時代劇か北風小僧でしか見たことない傘で、その使い方にも作法があるのだというが、茶事でも滅多に使わない露地傘を持つ家も、あまりないだろう。しかしこの邸宅にはあった。
お客様がたはうろ覚えの知識で使ってみることにしたようだ。半東が洋傘を差し掛けてあげる方がよほどスマートだと思うが、いい機会だと先生も暖かく眺めていた。ワチャワチャする姿が面白くてつい、隠れて写真を撮った。写真はうまくやれている風だが、実際は大騒ぎで楽しそうだった。
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中立(なかだち)と呼ばれる休憩が終わると、銅鑼(どら)を鳴らしてお客様に知らせる。これもはじめに知った時は耳を疑ったが、真面目にアジア版シンバルみたいなのを叩く。打ち方も決まっている。
こうしたドリフのコントみたいなことを真顔でやっているのが、お茶の世界なのだ。それなのに「わたし物を知らなくて」などと謙遜する。外国人でなくてもアメージングだと思う。爆笑ポイントがそこここに散りばめられており、幼少期に参加した葬式のように危険だ。
友湖の仕覆
改めて眺めると、茶室も露地もあり、大炉(冬しか使わない特別な炉)の部屋を持つあるこの邸宅はすごい。当たり前のように仕出し屋さんを呼んでいるが、それだってかなりお金がかかるはずだ。様々なタイプの富裕層が茶の世界を支えている。
怖いようなお道具がばんばん出て来たが、皆がざわついたのは、「友湖でございます」の一言だった。友湖というのは、千家十職のお茶道具の袋(仕覆や袱紗など布もの)師で、お稽古の時には、(そうじゃないのに)「友湖でございます」と機械的に言うことになっている。その本物はめったに見られることはなく、会えないという意味ではユニコーンやツチノコといった空想の生き物と同じだ。最近すごい茶会に何度か参加させていただいた私は見ている可能性はあるものの、あっさり見逃してきた。
はじめて手に取った友湖の仕覆(茶入の袋)はふんわりと、まろやかで軽かった。その手触りは、若い頃に思い切って泊まった「俵屋」を連想させた。繊細で柔らかく、どこにもとがったところがないのに印象深い。さらに「浄益でございます(これも千家十職のひとつ)」という声も幻のように聞こえて来て、皆で震えた。
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◆
先生が茶事の稽古をするところも初めて拝見した。いつもは細やかに指導してくださるところを、茶事稽古ではすべて経験させてみて、聞かれたら答える、という姿勢を貫いてどっしりとしていた。なんならたまにニヤニヤしていたようにも思うが、先生も心なしか嬉しそうだった。迷ったところや困った場所などは、後ほど文面で理由と共に正しいやり方を教えてくださった。
初めての半東を先生は褒めてくださった。しかし一応本を見た私は、いかに他の色々を、先生や邸宅の旦那さまがしてくださったかを知っている。それらを含め、全て有難い経験だ。
今後私は莨盆を軽んじたりしない。特に他の準備にも追われる薄茶の莨盆の灰入炭が真っ赤に熾っていたら、半東を呼んで褒めたいくらいの気持ちを抱くだろう。
莨盆におろおろし、露地傘に笑って、友湖に感動する、心に残る茶事稽古でした。