平和教育の難しさ
1 私たちが受けてきた平和教育
私は30代なので、この教育を受けたのは今から20年以上も前になります。
私の記憶に残っている平和教育は、次の2点の感想をもちました。
1 戦争は怖い
2 戦争は起きない方が良い
具体的には道徳や社会科の学習で、戦争についての物語を読んだり、戦争の被害者数や現代の紛争について学習しました。また、修学旅行では長崎の原爆資料館を訪れ、写真などを通してその恐ろしさを肌で感じました。
上述した感想をもった平和学習ですが、この学習には2つの問題点があると思います。
1 戦争は怖い
→この時代に生まれなくてよかった。毎年行われる学習だけど暗い学習。
2 戦争は起きない方が良い
→今も紛争が起きているが、どうすればなくなるのか議論できていない。
今は日本で起きていないが、この状況を持続するにはどうするのか。
2 平和教育には、2つのタイプがある
平和教育には、2つのタイプがあると京都教育大学の村上登司文さんは言われます。
タイプ1 平和についての教育
平和と戦争の問題を直接的に教材として取り扱います。直接的平和教育とも呼ばれます。
タイプ2 平和のための教育
平和な社会の形成者を育てるために行う幅広い教育活動を指し、平和・戦争問題とは間接的に関わるという意味で間接的平和教育と呼ばれます。また、広義の平和教育といわれるときもあります。
私が子どもの頃に受けてきた平和教育は、おそらくタイプ1だと思います。しかし前述した通り、平和な社会をどうやったら形成できるのか、深く考えないままでした。
また村上さんは、「社会の変化に柔軟に対応しうる人間の育成」も重要であるが、平和な社会の形成に積極的に関わる人間の育成が必要といえる、と訴えます。
現代のような情報が溢れ、難しい問題(紛争やテロ、難民など)がたくさんある世の中で、ただ変化に対応するだけでは問題は解決できません。残念ながら現代の問題に対して、子どもたちは無力感をもち、私たちが考えてもどうしようもない、と考えているでしょう。
一人で考えても答えは出ません。こういう答えのない難しい問題こそ、議論する必要があるのではないかと思います。
3 私が感じる平和教育の難しさ
私は教育現場で働いて感じるのは、利己的な考えの保護者がとても多いことです。自分の利益になることならするし、そうでないならしない、という感じです。そのような家庭環境で育った子どもも、もちろんそういう思考になります。
平和のための教育が求めるのは、平和な社会を形成する力です。
「自分のためになるかどうか」という軸ではなく、「平和な社会になるかどうか」という軸で思考することが大切です。
現場で見ていると、ほとんどの苦情は利己的なものばかりです。
それでは、平和な教育環境になるはずがありません。
またこの利己的な考え(個人主義)が蔓延していくと、経済的に厳しい家庭の子どもたちが真っ先に被害(いじめ等)を受けます。
そういう状況に学校現場は対応している状況で、平和教育の授業を構想する余裕がありません。学校の先生がどんどん多忙になっています。
4 それでもやるしかない
利己的な考え(個人主義)が蔓延している状況で、諦めたくなるときもあります。その方が楽ですし(笑)
ですが、平和のための教育が通じる子どもたちもいます。
その子どもたちを中心に、少しずつ平和のための教育を進めていこうと思います。
参考にしたサイト