小さな光を与えられる人になりたい
少し前の話なのだが、朝早くから夕方までのインターンに数日参加させていただいていたことがあった。
私は晴れていれば自転車で最寄り駅まで向かうことにしているのだが、普段午前中に駅まで行くことがほとんどなかった私は、久々に、小学生が登校する時間に自転車を走らせることになった。
そこで、久しぶりに学援隊の方の存在を目に留めることとなった。
学援隊とは、主に小学生の登下校の際に、安全に歩くことができるように見守るというボランティア団体のことである。
私は、小学生の頃にいらっしゃった、あるひとりの学援隊の方が非常に印象に残っている。
その方は私の住んでいたマンションの前の横断歩道にいつも立ち見守ってくれていた方だった。
その方は学援隊の隊長をされていた方だった。小学校から家の距離が近かった私は、その方を含め、毎日会うのはだいたい2人くらいだったため、必然的に学援隊の方の中でもよく顔を合わせており、顔見知りになった。
1年に1度、私の通っていた小学校では学援隊の方を朝会でお呼びして、感謝を伝えようという機会があった。その方は隊長という立場だったため、私たちに対して、毎年「元気を貰っている」と代表で伝えてくれていた。それは私たちも同じだと高学年になるにつれて感じるようになっていった。
その方に見守っていただきながら、小学校を卒業できた私だったが、その後も小学校に通っていた妹から衝撃の事実を伝えられることになる。その方が癌で亡くなったというのだ。
私と毎日顔を合わせ、挨拶を交わし、時にハイタッチをさせていただいたり、大きな元気を貰っていた。その一瞬では私は全く病気を持っていたなんて知ることは無かった。きっと私たちから元気をもらっていたというのに嘘はなくて、本当に病気を抱えている中でも学援隊の活動が生きがいで、力を貰っていたのだと思う。もしかしたら、病気があることは知られたくなかったのもあるかもしれない。
何だか、その事実を知った時に無力さを感じたのを今でも覚えている。私は医者じゃない。直接的な力は何も与えられない。でも、私と顔を合わせることで、私が元気を与えられていたように、少しくらい力になれていたのかな、とも思った。毎日本当に少しの時間だったが、私の心の中には間違いなく、その方の場所があって、もう会えないなんて信じられなかった。
この間、学援隊の方を久しぶりに目にして、その方のことを思い出した。
家族とも友人とも違う、毎日行き帰りに会ったとしてもせいぜい1分程度の関係性。だけど間違いなく自分の中で大きな存在。そういう関係性が本当に大切な気がするのだ。今毎日思い出すということはない。ただ、ふとした時に確かに存在していたと考える存在。私たちの存在意義ってきっとそんなところにあるんじゃないのかなぁと思うことがある。
私も将来的には死ぬ。信じたくないけど、それは決まっている。命を落とした時に、別に泣いてくれなくてもいい。私という人間がいたよなぁ、こんな人だったなぁ、小さな光を与えてくれたなぁと思い出してもらえるような人間でありたいなぁと思うのだ。
私には亡くなってしまった、母方の祖母と父方の祖父がいる。その2人も凄く温かくて、明るくて、亡くなった時、たくさんの方がショックを受けていた。
母方の祖母は祖父のことを影で支える素敵な女性だった。建築業に携わっていた祖父は、同僚を家に連れて帰り、ご飯を食べるという機会が多かったらしい。そんな時でも嫌な顔ひとつせず、ご飯を作り、笑顔で振舞っていた。(親戚で集まった時の様子が重なる)
その様子を目にしていた同僚も非常に祖母のことが大好きになっていったと聞いた。亡くなったと伝えたら、とても悲しんでいたそうだ。
父方の祖父はコミュニケーション能力がずば抜けていた。(私は9年しか一緒に居られなかったが、幼いながらにそれは感じていた)
結核になった影響で、受かっていた大学を中退したという祖父。その後、定年退職を機に、日本や海外を旅し、持ち前の明るさで、世界各地に友達を作っていた。また、退学してしまったという経験があったため、社会人枠でもう一度大学に入り直し、40近く年が違う友達を作っていたらしい。祖父が亡くなったと聞いて、若い方々が線香をあげようと祖母の元に沢山訪ねて来たらしく、祖父とどのような関係性だったかと詳しく聞くと、大学の友人だったのだという。
亡くなった祖母も祖父も本当にたくさんの人に愛されていた。家族以外の人からも、本当に素敵な人だったと思われていた。私もそのような小さな光を与えられる存在になりたい。
そのために、必ずしも大きくなくていい、些細な関係性まで大切にできる私でいたいのだ。