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他人のジャッジに自分をゆだねるとゾンビになる/「ナナメの夕暮れ」より

【388日目】

★追記 
ひいろさんのマガジンに入れていただきました!いつもありがとうございます!


以前もご紹介したオードリー若林さんのエッセイ。
心の深いところをえぐられるような、
ああ、そこそこ!言いたかったんだよね、と
つぶやきたくなるような
心のかゆいところに手が届くエッセイ。

もう、読んでほしい。

若林さんの他のエッセイも読んでみようと探索中。


遊んでいても、仕事をしていても、他人のジャッジの視線が気になって、生きていること自体があまり楽しくなくなる。  朝起きた時に「また今日も他人にジャッジされる一日が始まる」と思ってしまうからだ(ひどい場合は「また今日も他人に否定されるだけの一日が始まる」と思ってしまう。20代の僕はそうだった)。  
そうなってしまうと、なんとか自分を肯定しようとして、他人や物事に対しての価値下げをさらに加速させてしまう。  地獄のスパイラルに突入だ。  そうなると、〝楽しいことが何もない世界〟を彷徨うゾンビとなって、深夜の暗い道を一人呻きながら徘徊することになる。

若林 正恭. ナナメの夕暮れ (文春文庫) (pp.122-123). 文藝春秋. Kindle 版.

ああ、
他人にゆだねるから私はいつまでも自己肯定感が低いままなのだ。
自尊心だけやけに高いくせに、自分を否定する癖がついている。

しかも、この「ゾンビ」は周りに伝染していくというのだ。

おそろしい。
他人を巻き込むなんて。
でも、自分にもそういう一面があるのかもしれない。

死んだ目をして世界を見つめていない?


若林さんはこのゾンビ状態を回避するために「肯定ノート」をはじめた。
自分の好き、をひたすら書き連ねていくノートだ。
始めは出てこなくても、徐々にうまくなってくる。

自分の好きがしっかりと認識できれば、
他人の好きも肯定できる。
私なら銭湯、読書、ドラマを観ること、サスペンスを観ること、
お笑い……、つらつらと書き連ねていくことだろう。
案外出てくるぞ。
花を見るのも、緑を見るのも好きだ。


次の段階は、

他者への肯定がスラスラ出てくるようになると、不思議なことに誰かを否定的に見てしまう癖が徐々に矯正されていった。  

そうなると、自分の行動や発言を否定的に見てくる人が、自分が思っているほどこの世界にはいないような気がしてきた。 「だから物事に肯定的な人は、他人の目を気にせず潑剌と生きているように見えるのか」

若林 正恭. ナナメの夕暮れ (文春文庫) (p.128). 文藝春秋. Kindle 版.


自分の「好き」の肯定がこのように他人、
そして
世界を見る目を変えていく。

若林さんの独特な世界の見方に
ずいぶん気づかされ、
自分への「好き」の気持ちの確かめ方を
学んだ。

すっと文章がしみこむ、優しく。


「肯定ノート」、若林さんも30歳を過ぎてからはじめたそうだ。


あなたも、私も遅くない。




明日もよき日になりますように。

こんな記事も書いたっけ。


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