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幼少期の体験って性癖に反映されるのだろうか

※この文章には性的表現やいじめ表現が含まれます

はじめに自己紹介を

私にはちょっと歪んだ性癖がある。自己紹介代わりに軽くお伝えしていくと、

  • 大きな括りで言えばM

  • 被虐(多少の痛みなら快楽に変換できてそれを指摘され辱められるのが好き)

  • 被支配欲(サブミッシブという概念があるらしいけどここでは用語の定義は避けるね)

  • 羞恥(屈辱的なことをされるのが好きで、できる限り醜い姿にされたい)

  • 好きなプレイは拘束と首締め

だいたいこんな感じだ。
文字にすると結構やばいやつだな…

私の性癖がやばいかどうかはさておき、ここで本題に入る。今まで何回か私は自分の性癖について分析してきたけれど、そのルーツがどこにあるかなんて考えたことがなく、性格からくる割と先天的な要因が大きいのかとぼんやり思っていた。

しかし最近過去の自分を思い出してふと気づいたのだ、幼少期のトラウマ的記憶と今の性癖があまりにリンクしていることに。

ここでは曖昧な過去の掘り返しと自分の気持ちの整理も兼ねて当時の体験を綴るので、読みにくい部分もあるかもしれないと断っておく。また、ちょっとテーマだけ見ると重いけどあくまでも思い出話としてライトに読んでほしい。あと意地悪な皆さん、もっと酷いことされてるのかと思ったとかの期待もしないでほしい。

友達からの性的いじめ

nちゃんについて


小学校低学年の頃、いじめっ子リーダーの女の子がいた。名前を仮にnちゃんとしておく。nちゃんは女子では逆らえるものがおらず、いつも取り巻きを数人従えていた。

学校では出来の良かった私に勉強教えてと親しげに話しかけてきては宿題を写し、嫌な顔をすると写させた同罪として「先生に言う」と脅す理不尽ながらもいじめ方をわかっている子だった。

まあそのくらいなら可愛いものだがある時は一緒に遊ぶという口実で友人宅に5.6人集めて「戦いごっこ」という名の集団リンチでターゲットになった子(ここではyちゃんと呼ぶ)を泣きながら帰らせたこともあった。

もちろんほとんどの子はそんなことやりたくないが自分がターゲットになるのを恐れて暴力に加担していた。nちゃんはもちろん手を出さず傍観していた。

当時の私は狭い友達関係が全てであり、この「遊び」は断れないと思いこんでいた。

あの日の出来事

忘れられない出来事が起きたのはいつもターゲットとされるyちゃんの家にnちゃんと一番の側近と4人で集まっていた日のこと。変態ごっこしよう。nちゃんがそう言い出したのである。

小学生の数少ない悪口の語彙の一つである変態という言葉。いまはごっこをしなくても十分再現できるようになったその言葉が私を表すために使われたのはそれが初めてだったように思える。

ルールは簡単。親が入ってこないように部屋の扉をしめ、取り巻きの子と一緒に私を押さえつけ、ただ服を脱がすだけ。

もちろん普段の恐怖政治の影響で抵抗も形ばかりのものしかできない。戦いごっこの被害者であるyちゃんももちろん隣で脱がされた。

私のパンツを脱がせてくる取り巻きの子の罰の悪そうな目は今でも覚えている。それから服は隠され、部屋の中心で私とyちゃんは放置されたのであった。その後は飽きるまで鑑賞が続く。

しばらくして裸の体に当たる隙間風のスースーする感覚に慣れ、ただ脱がされるだけなら案外平気だと思い始めたその時nちゃんは言い放ったのである。「ゆざめ、鶏肉の匂いがする」と。

nちゃんが覚えてるわけない何気ないその一言によって、当時8歳の私は強烈な羞恥に襲われたのである。裸を見られるだけでは自覚していなかった私の羞恥を引き出し、体臭を少し気にし始めていた思春期の入り口で"今私は人間としての尊厳を侵されているのだ"と気づかせるには十分な一言。

大袈裟に言えば服を脱がされ、蔑んだような目で鑑賞され、コンプレックスを刺激され、やめるかどうかは相手が握っている状況。ただ早くこの状況が終わって人間らしく服を着たいと願うことしかできない私は無力だった。

ここからはほとんど考察だが、私はその状況の解決策を自分の内に求めてしまったのではないか。

外に出て友人の親に助けを呼びにいくのも恥ずかしくてできないし抵抗しようにも怖くてできない、少しでもこの状況をプラスに変える方法は羞恥と人権剥奪を性癖にしてしまう以外なかったのだ。だってあまりにも今そのシチュエーションだったら興奮してしまいそうだから。

これが本当に性癖が歪む原因の一つになったのか真偽の程はわからないが、性的いじめがトラウマにならず性癖になったのは私にとって幾らか救いであるように思われる。

妹との暴力的日常

さて、学校でそのような扱いを受けていた私だが、家にもいじめっこはいた。妹である。

その年で幼女とも言える歳の妹を怖がる意味がわからないとか姉のくせに妹にいじめられるとか弱すぎるとお思いだろうが、当時の私は本気で3歳下の妹の暴力にびびっていた。嫌っているというよりもただ恐れていた。

愛ゆえのというDV男みたいな理由で妹は殴ったり蹴ったり首絞めたりともちろん跡が残るほどの力はないが暴力で支配していたのである。殴る蹴る首絞められる、妙に馴染みがある行為だと思ったらここで受けてたのか…。

抵抗はしないのかと思うかもしれないが、私は人を殴るという思考に至らないのだ。殴ったらおあいこで殴るやつがバカと言わんばかりにいつもすましていたから妹はそれにもムカついて余計に殴ってきた。

親はというとどんなに止めても怒ってもその暴力性は加速するばかりで割と放置していた。親も困ってたんだと思う。父も結構妹にはキレたら手を出すタイプであり、これは遺伝なのかなとかすかに思っていた。

妹は私のものを盗ることも多かった。窃盗傷害その他諸々一歩家を出たら犯罪になるわけだが妹からのDVに悩まされているなんて恥ずかしくて言えないし言ったとしても微笑ましいただの姉妹喧嘩だし文章にしてみても被害者面するほうが気持ち悪い当たり前の日常だった。

この日々を過ごしてどうなったのか。あくまで推測だが、自分より弱いものから支配を受けていることをプラスの感情にしようと私の幼い脳も頑張ったのだと思う。

暴力で支配される。ここに快感をかんじるようになれば世界は安定するのだ。余裕ぶって冷静でいることを保つための代償だったのだと思う。これが二つ目の私の性癖ルーツの推測である。

性癖と生きる


それから10年以上の年月が経ち、私は擬似人権剥奪の羞恥と支配を快感に変換して生きている。

過去のことは今や問題ではなくなった。小学校のいじめっこリーダーnちゃんは小高学年くらいで急に大人しくなり、誰も従わなくなった。妹はだいぶ大人になり、一緒に住まなくなったのもあり対等に付き合えるようになった。今もちょっとわがままだけど。

もし幼少期の経験が性癖に影響しているなら、経験をさせた相手を責めるだろうか。いや、私はむしろお礼を言いたい。

普通よりちょっとずれたこの性癖のお陰で出会えた人も多いし、なにより性癖を丸ごと愛してくれる人との幸せを普通の人以上に噛み締められるから、私は胸を張って幸せだと言える。

最後まで読んでくれてありがとう。ちょっと歪んだ性癖を持ったみんなが等しく幸せになれますように。


おわり

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