"自己の連続性"と"モノ"
アイデンティティをどこに立脚するかはその人によって異なるが、流動性という観点においては他者に立脚することは危険だと言える。他者とは自己のコントロールできないものであり、基本的には身体性を有さないものだからだ。ならば、自己に立脚していれば安心できるかというと、そうではない。自己というものも、十分な流動性を有するし、その身体性が損なわれる可能性は常に存在するからだ。仮にその人が、自身の能力にアイデンティティを立脚していたとしても、それは、事故によって失われるかもしれないし、まし