死ぬことよりもかすり傷
よく「死ぬこと以外かすり傷」という言葉を聞くが、
私にとっては「死ぬことよりもかすり傷」である。
私のメンタルはヒビの入った薄い壁を盾にしている。つまり、とても脆い。
死ぬこと以外かすり傷というそのかすり傷すら耐えられない。
かすり傷程度が致命傷なのだ。
正味、死ぬ、ということが最大の逃げ道であることが救いになっている。
いつでも、死ぬということを最後のカードとして持っていることでなんとか耐え凌いでる。
「大丈夫、死ねばいいんだから」と言い聞かせてなんとか毎日朝を迎えている。
朝の通勤ラッシュでコケたこと、
課題の提出が遅れたこと、
冗談でも可愛くないと言われたこと、
1人だけ季節先取りの上着を着てたこと、
全てかすり傷程度のことだろうが、
私には深く深く刺さって抜けない致命傷となる。
たかがこのくらい、と思うだろう。
私はこの"たかが"が一生忘れない記憶となるのだ。
小さいころのちょっとしたかすり傷ですら、今も鮮明に思い出せるくらい、私の脳にはかすり傷程度も強く刻み込まれる。
それがどんどん深く刺さっていき、大きな傷となっていく。
朝の通勤ラッシュでコケたことなんて次の瞬間誰も覚えていないだろうし、
課題の提出が遅れることなんて誰にでも起こりうるし、
可愛くないなぁ〜なんて冗談なことは分かっているし、
1人だけ早く冬物の上着を着てたことなんて、寒がりなんだな、程度で誰も気にしないだろう
誰を気にしていないことは分かっていても、
その瞬間の恥ずかしさ、苦しみ、辛さが私の脳を蝕んで離さない。
死にたい気持ちが溢れてくる。
それすらもはや救いだ。
こっちには死ぬという逃げ場があるぞ、という言い聞かせだ。
この世から消えてしまえばそんなかすり傷もなかった事にできる。
どうせ死ぬ勇気もないくせに。
"死"という逃避方法だけ持っておこうなんて傲慢だ。
だけど私はこうやって"死"に逃避する。
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