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いつも"いちばん"じゃない

わたしはいつも、「いちばん」になれなくて苦しんでいた。

いや、苦しんでいる。

「それでは2人組を作ってください」と言われたら余る、そんな人生だ。


仲良い友だちはいつも複数人だった。

そして彼女らに誰かひとりを選んで、と聞くと必ず私以外を選ぶような、そんな関係だった。

どれだけ私が友だちと仲良くしようとも、友だちとその友だちは何かものすごく通づるものや共通する点があって、私には相容れないのだ。

わたしはどうしても「いちばん」にはなれなかった。

ずっと、誰かのいちばんになりたかった。


親からも、いちばんの愛情は得られなかったように思う。

私には弟がいる。

弟は正直、学力も運動神経も私より劣っている。

というのに、弟は両親からの寵愛を私よりも受けているように思う。

馬鹿な子ほど可愛い、という言葉があるがこの言葉通りなのだろうか。

実際、いちばんなのは、生まれた順番だけだ。

親にも友だちにも選ばれない私は、それに気が付いた時から劣等感に苛まれる生活が始まった。

実際、本当に1番にはなれないのだ。

友だちと親はさることながら、学力でもいつも私より頭のいい子は必ずいて、1位にはなれなかった。

1位になったのは中3のときの道コンの国語(満点)だけだろうか。それでも1位はたくさんいたが。

足の速さもだった。授業の徒競走ではいつも1番ではあった。しかし、リレーの選手に選ばれた私はその中では圧倒的に遅かった。

1位にはなれない、そこでも既に気が付いていた。

小学3年生だった。

そんな幼い頃から私は1位にはなれないことに気が付きながら生活していたのだ。

それは自己肯定感が低くもなるだろう。

気が付いた時にはもう、"私なんて"という思考回路だった。

もう手遅れだった。

親にも1番に愛を注がれず、どこでも1位にはなれない、そんな私が自分に自信を持って生活できるわけがなかった。



自分がただのゴミに見えた。



生きているだけ無駄のように感じた。



_____死にたくなった。




私の鬱の根源はここかもしれない。

きっと、1番にはなれない劣等感が幼い頃から私を蝕んでいた。

この苦しみがわかるだろうか。

いつも劣等感に蝕まれ、誰にも選ばれず、いつも心のどこかで孤独を抱えていた幼い私は、

今になって1番になることに逆に恐怖を覚えている。

付き合っている人がいる。

優しかった。

誰よりも大切だと、私を1番にしてくれた。

そしてそれを伝えてくれた。

だが怖いのだ。

彼の1番でいることが。

1番ではなくなることが。

いつ1番じゃなくなるのかと気が気でない。

私は彼の1番でいられる自信が無い。

なぜなら今までずっと1番ではいられなかったから。

そんな私が優しい彼の1番でいられるわけがない。

幼い頃から積み上げた劣等感が私を弱くする。

大丈夫だよ、と私を抱きしめる彼は温かい。

大好きだよ、と私にキスを落とす彼は温かい。

その温かさが私は怖い。

いつか本当の私を見て離れていくかもしれない。

彼なら大丈夫と信じていながら、

こんな私を受け入れてくれる人はいないだろうと心のどこかで思わずにはいられない。


あゝ、怖い。



彼は優しいし、寛容だし、尽くしてくれる。

信じるには十分すぎる理由で溢れている。

なのに私は信じれない。

自分を信じられないから。

あゝ、情けない。申し訳ない。

いつか1番ではなくなるその日を思って、

私はいつも怯えている。

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