こんなに汗をかける 2024/06/08
・彼女に連れられ、彼女の友人宅へ行くことになった。サムギョプサルパーティをするらしい。しかもかなり人がいるし、その友人の親、友達の友達、など圧倒的に自分がアウェーな空間だった。彼女とバイクで40分くらいかけて行ったが、家に着く直前に「そんな空間、僕みたいなやつが楽しめるわけない」と彼女に言ってしまった。酷いことを言ってしまったが、実際そうだ。よく考えれば自分はかなりの人見知りだし、気まずい空間を極度に嫌う。そんな場所に僕を連れて行こうだなんて…と腹が立ってしまった。申し訳なかった。
ここまで来て引き返すのもあれだから、渋々家に入った。パーティに参加するからには、楽しめてないという顔をするのはダメだなと思い、心を切り替えた。が、なんて失礼なことを考えてしまったのだろうと思うほど、その空間が暖かかった。あまりにも手厚い歓迎。馴染みやすい空気。本当に本当に申し訳なくなった。友人にも。彼女にも。明らかな異分子である自分を歓迎するどころか、まるで自分がその輪に最初から居たかのような空気だった。彼女にも感謝している。「絶対楽しいから!悪い人たちじゃないから!」という言葉は間違っていなかった。ちゃんと信じていればよかった。
その会はサムギョプサルパーティ兼、友人の誕生日会だった。誕生日会だったことは知らなかったが、僕はこんな幸福な空間に同席しても良いのか?と思うほど満たされた。本当にすごい。あの時、あの場所において一切不快な要素がなかったのだ。大きな手作りケーキ、プレゼント、飾り付け。幸せだけがあった。なんだか、悲しくなった。これこそが人生において1番素晴らしいものなのだと。忘れていたのが本当に情けない。本当に楽しかった。あと似顔絵も描いてもらったしね。嬉しいね。
帰り道で彼女に謝った。そして感謝した。
・パーティからの帰り道、雨が降っていたのでカラオケボックスで夜を越すことにした。5時間。朝まで。
カラオケに友達と行くと、その友達によって歌う曲を変えるのはあるある。僕もそのあるあるに共感できる1人。この人の前では、
この曲が歌える
↓
この曲に挑戦できる
↓
こんなにふざけれる
↓
こんなに汗をかける
という順でカラオケの楽しさが異なる。汗をかけるまで行っているのは彼女くらいでは。全力で歌って踊って、それをただ笑ってくれるのだから頑張らない他ない。
・「頑張る」は結構舐めちゃいけない言葉だと思う。そりゃそうだろとお思いの方が大半だろうが、そりゃそう。だが改めて頑張ることの大切さについて考えた。そもそも自分は何か行動をするとなったら、とりあえずやってみる派だ。何かそこに明確な意図やらリターンがなくてもやってみる、頑張ってみる派。なぜ頑張るのか?頑張るのが好きだから。頑張った結果が○でも×でも面白い。だからやってみる、そんな単純な理由。
上の文章に付随して1番許せないのは、頑張っている人を馬鹿にする行為だ。これだけは本当に許せない。「そんなことやったって無理なのに、何を頑張ってるんだ」「意味ないだろやっても」という言葉をちょくちょく耳にする。そういう奴に限って、的を得たことを言うから厄介だ。実際やっても意味ないことはあるのだから。だが、それを言っちゃ野暮だろ?とも思う。野暮。
・カラオケからの帰り道(朝5時)、地図を見ずに帰ってみようと思った。すると通常30分で帰れるはずの道程を倍の1時間かけて帰っていた。途中同じ道をぐるぐるしていると言うことに気付き、大声で笑ってしまった。声をあげて笑ってしまった。はぁ?
・今フルチンで日記を書いている。どうしたものか。フルチンと言うのと全裸と言うのはどちらの方が、コミカルかつマイルドなのか。フルチンだと完全にモノを想像してしまう。なら全裸か?全裸と表現したらモノを想像しなくて済むな。僕が全裸と活字で書いてあるのを読んだとしたら、全裸は想像するものの「湯気」もしくは「不自然な日の光」で大事なところは隠れている感じになるのでオッケー。
・もしかして僕、日本語が下手になっていないか?ちゃんと読めてますか?この日記。クレームは受け付けますよ?クレームやら批判コメントってかなり推敲してあるイメージ。対象を叩くための文章を添削している姿、なかなか味がありますね。