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神学と宗教学と信仰②日本人の私がこのテーマを扱う目的と需要

前回の投稿ではドイツの大学院で学んだ諸文化間神学 (M.A. Intercultural Theology) の視点からみる、そして私自身の研究と照らし合わせて考える、神学と宗教学と信仰というテーマについて、またその違いについてとても簡単にお話ししました。今日は本シリーズを日本語で言語化してシェアする目的と需要について、そして「日本」と「宗教」という観点を神学的視点から考えるチャレンジに至った経緯をお話ししたいと思います。

なぜ日本語で【神学と宗教学と信仰】というテーマでの学びを言語化してシェアするの?

本シリーズの目的は、【神学と宗教学と信仰】という3つの角度から日々の生活について考え、人生を冒険する力をつけることです。社会に生きるということはさまざまな場所で自分ではない誰かと関わりを持つということです。もちろん自分と似たような似たような信念や信仰を持っている人もいますが、全く違う価値観や世界観を持つ人もたくさんいます。

このような現実の中、人はいつの時代も世界で信念や信仰の違い、所属している宗教の違いや考え方の違いを理由に対立し命を奪い合うということをしてきました。諸文化間神学は、このような異なった文化や信仰、宗教や世界観をありのままで捉えて、その上で「神」や「神学」について批判的に考えるという学問です。究極的には平和構築へつながるアプローチであると私は考えます。

そもそも日本では宗教や政治についてはあまり意見を交換するということがありませんが、世界で複数の戦争が起きている中、全く考えないのも問題ではないかと思うのです。そのため、私は日常では言葉にされない【神学と宗教学と信仰】を日本語でしっかり考えたいと思いました。

私は幼い頃から英語にどっぷり浸かっていましたが、母語である日本語で思いを伝えることの重要さを海外に出てきてから気づきました。また、日本語と比べたら英語やドイツ語の方が文献や研究事例も数が多い中、日本語で【神学と宗教学と信仰】についてシェアすることを通して、小さな一歩ですが日本での学問に貢献したいと考えます。
このシリーズの執筆を通して、私自身の学びだけでなく、読者の皆さまの学びにつながればいいなと願っています。

【神学と宗教学と信仰】について考える需要は?

もちろん必要がない研究をすることは時間の無駄かと一見思えますよね。でも、本当に意味のない研究ってあるのでしょうか?研究する、調べる、学ぶことというのは必ず知識につながります。人の存続に必要な研究(医学など)と比べ、宗教学や神学はマイナーな学問です。

利益や結果を常に求める現代社会では、人文学的研究は”趣味”と言われることもあるでしょう。いや、実際のところ自分の興味のある分野について知識を深めるという点では私自身趣味の延長線ともいえますが、私にとって【神学と宗教学と信仰】の視点から物事を捉え、考え、学びを深めることは、実は多くの人が密かに気になっている「死」や「死後の世界」また「人生の目的」などに関する問いへの答えを共に考え探すための貴重な視点だと思っています。

人の心にある哲学的な問いが、この世界に存在する現象や文化へどう反映されているか知りたいという気持ちこそが、【神学と宗教学と信仰】の視点からさまざまな事例を集め調べることの需要の証だと思うのです。

「日本」と「宗教」について神学的視点から考える

まずは現状把握です。

  • 日本の宗教(文化)は現在西洋ではかなりブームしている。

  • 日本の宗教といえば神道と仏教だが、必ずしも一つの宗教を”信仰”するという形ではなく、さまざまなライフステージにあった形で宗教が現れるというような形が一般的。

  • 一方でマイナーな宗教に対しては耐性や理解があまりない。キリスト教はクリスマスやクラシック音楽などの影響でポジティブに受容されているが、イスラム教は未だ未知で苦手意識を感じる人が多い。また、新興宗教などについても反発を感じる人が多い。

  • 日本の宗教は西洋(例えばドイツ)では日本学や仏教研究、またはアジア研究の一環として考えられることが多い。神学的視点から日本について研究する例は少なく、日本の神学は近年あまり成長していない。

  • 神学という学問は非常に西洋中心主義的価値観が強く、そもそも西洋以外の宗教(主にキリスト教)は “margin”(端っこ)とまとめられたり、 “Asian theology”(アジア神学)や “African theology”(アフリカ神学)とまとめられる傾向にある。アジア諸国ややアフリカ諸国に見られる多様性は未だに理解されておらず、そもそもの事例研究が乏しい。

このような現状を考えると、やっぱり「日本」と「宗教」という観点を神学的視点から考えることには意味があるなと思いました。特に、私自身のキリスト教の信仰をいかに生き抜くかと考えるためにも、社会の流れや人々の心、アイデンティティや文化について、「どうあるべきか」そして「どのような現状か」と知る必要があります。もちろんこれはとても大きなテーマで、修士卒業したての私が一人で解決できる問題やテーマではありません。
ぜひ皆さんも一緒に考えてみませんか?

<<Thinking Questions>>
① あなたがずっと疑問に思っていることは何ですか?
② あなたの心の軸は何ですか?
③「学んだ方がいいなー」と思っていながら、実際に学ぶ努力をしていないことは何ですか?

↑マルタ島のMdina Cathedral Museumに展示されているパウロのタペストリーです (2024年6月)


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