神学と宗教学と信仰④ 「日本」の外にある「日本」〜神道〜
ここ数年、日本や韓国の文化をはじめ北東アジアの思想や習慣などが世界的にポピュラーになっていますね。私が住んでいるライプツィヒにも日本の文房具や小物を販売しているお店がいくつかあったり、看板メニューが抹茶ラテというようなカフェがあったりします。また、Shinto Ramen、Shinto Sushi、Shinto Cafe&Barなど謎に「神道」と名前に入っているレストランも。今日はポップカルチャーとはまた異なった視点から日本の外にある「日本」を一緒に冒険したいと思います。特に、私の修論の第2章(先行研究)の凝縮バージョンということで、特に神道は宗教なのか、そもそも神道とは何かという観点から、日本の外にある神道について紹介します。日本の外にある神道
1、神道は宗教なのか。
「神道」について宗教学で常に議論されているのは、果たして神道が宗教と言えるのかという点です。西洋では一般的に宗教というものは次の3つの性質を持っているものと考えられます:①神などのや超自然的な存在がある、②儀式的な要素がある、③組織的な説明が成り立つ。
キリスト教やイスラム教は上記3点を全て満たしており、その反面仏教やヒンズー教などは、宗教と括られることはありつつ哲学的な要素が強いということがあります。しかし、神道については組織的な説明がさほど重要視されていないということがあるのです。同時に、西洋学問が考える宗教の性質が日本や他国の宗教観に100%当てはまるかと言ったら、もちろんそうではありません。ジレンマですね。
そのため、私の研究では「宗教」という言葉を大きなフレームワークとして捉え、神道もその括りの中のものとして整理しつつ、"Shintōism"ではなく日本語の発音通りに"Shintō"と表記し、その歴史や社会的な背景を視野に入れた上で"Religious tradition”(宗教的要素のある伝統)と表すことがより正確と考えました。
2、神道とは何か
「神道」と聞くと真っ先に考えるのは八百万の神ではないでしょうか。自然や祖先を神として崇敬し、神聖な場所で参拝する様子を思い浮かべるかと思います。「神仏習合」にも現れている多宗教的な調和が特徴的であり、日常生活と深く結びつき、包括的で柔軟な信仰体系を持っているイメージがありますね。[1] また、現代メディアにおいても神道の表現が多岐にわたって見受けられますね。
ジブリの作品などがその代表例です。「千と千尋の神隠し」「となりのトトロ」「もののけ姫」などの作品では、自然や森に宿る神々が描かれ、神道的要素が色濃く表現されています。また、新海誠監督の「君の名は。」や「天気の子」でも神道的なテーマが中心となり、近年では「鬼滅の刃」も悪霊退治や厄払いを題材に神道の影響が見られます。さらに、現代では神社が「パワースポット」として注目を集めています。こうしたメディアや文化を通じて、神道は現代社会で新たな形で広まり続けています。[2][3]
神道という宗教・信仰・伝統・文化についてさまざまな研究がなされていますが、日本の文科省が発行している宗教年鑑によると、
と説明されています。しかし、神道が「本質的に非政治的な自然崇拝の先史的伝統である」という考え方に対してRots (2015)は、近代的な神社制度の設立における政治的関与の重さを明らかにしつつ、批判的な視点を提示しています。現在存在する神道は主に近代化のイデオロギーに基づいていること、そして神道が宗教として具体的な形をとったのが明治時代であると、歴史的観点から考えることができると提案しています。[4] Rots (2015)によると、日本の歴史、特に明治時代ごろから見ていくと以下が明確になるのです。
多くの神社が今日までも所属している神社本庁は政治と密接な関係を持っている。
神道は宗教として多面的な性格を持っていると同時に、歴史的にも政治的な道具として利用されてきた。「神道」という用語そのものが政治的なイデオロギー的に偏っているため神道を中立的かつ経験的に正確に定義することは不可能である。
「神道」は実際の儀式や神社の伝統に基づく理想型的な構築物ではあるが、それらと完全に等しいものではない。
神道の歴史を見ると…
神道が宗教として確立されたのは、仏教が朝鮮や中国から日本に伝来し区別をつける必要があったため。[5]
神道は712年に完成したと言われる『古事記』に記された物語を通じて、日本国の成立と密接に関連付けられている(天照大神を祖神とする皇室の系譜に基づく)。
神道の神々は人間のように感情を持ち、失敗をし、気分に応じて人々に祝福や罰を与える存在として描かれている。このため、神道の多くの儀式は神々を喜ばせ、災厄を免れるか祝福を得るための祈りとして行われている。
制度化された神道は国家神道(国家神道)と教派神道(教派神道)の二つの形態で受け入れられた。
日本が天皇の名のもとで国際戦争を遂行し、台湾(1895年)、韓国(1910年)、満州(1932年)、北中国(1933年)を併合して植民地帝国を築いたことなど、国家神道のもとでの統治経験が多くの人が「国家神道」や「宗教」という言葉に対して抱く不安感の要因となっている。[6] 国家神道は1945年12月15日の神道指令により廃止され、政府による国家神道の支援や統制が終了した。[7]
国家神道が廃止される一方で、教派神道は明治期の当局に正式に認められた13の宗派として存続した。それぞれの宗派は、教派神道に所属する前からすでに独自に確立されており、それぞれ独自の特徴を持つ儀式を発展させてきた。
さて、神道について短くおさらいをしましたが、
3、そもそも日本の外に神道ってあるの?
という根本的な疑問が、ここで上がっているかと思います。そう、「神道」は日本という地に根を張る信仰ですから、日本列島以外の場所だと信仰できないということが一般的な考えです。しかし、インタビューや資料研究を通してなんと日系人の人口が多いハワイなどには神社が建てられていると判明しました。面白いですよね!
日本の外にある神道文化についての研究は比較的少ないですが、Rafael Shoji (2018)がブラジルにおける神道の移植を調査した例が挙げられます。彼はそもそも神道が宣教や海外進出を目的としない前提の上で、いかに20世紀初頭で日本人移民の主要な移住先だったブラジルにおける神道の移植が起きたかを調査したのです。
宗教の移植 (transplantation of religion)という言い方についても、「移植」という言葉が植物学的な用語であるため宗教の場でも使って良いものかという議論があります。しかし、本研究では「移植」という言葉を通して「宣教」とはまた異なった面を強調したいという目的があり、神道というテーマ自体も地形や自然と強いつながりのあるため、このまま「移植」という言葉を使用しました。[8]
Shoji (2018)の研究の結論として、神道の移植は非常に困難であると言います。そもそも神道において宣教活動が中心的な役割を果たしていないことに加え、移植先の環境的要素がその移植プロセスをさらに複雑にしていたと提示しています。移植先に元々あった宗教(ブラジルだとカトリックですね)、文化、言語、生活などの要素だけでなく、日本と違うブラジルの地形や温湿度なども、日本国内で神格化される自然とは異なった形であるということも要素として挙げられます。[9] 日本の外では神道の信仰が伝承されるのは非常に難しい、また伝承されるとしても移植先の信仰を取り入れた、新たな形の宗教・伝統になっているのです。
今回は日本の外にある日本というテーマの中から、特に宗教(神道)についてお話ししました。次回は、同じテーマのもと日系人コミュニティの社会と歴史という観点から、キリスト教神学、宗教学、そして信仰について、次もお楽しみに!