自由を考え、どう生きたいのかということ。
人は死ぬことがわかっている中で、どうやって生きていくのか。
これは決して、私が生きることに絶望しているとか悲観的という訳ではなく。
最近いろんな価値観に触れる中で、改めて向き合っているテーマなんだと思う。
私は昔、ずっと自由が大切な価値観だった。だけど、自由という概念は、コロコロと変わっていくのだなぁと思っている。
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昔は会社に入れば、自由が奪われてしまうと思っていた。
フリーランスとか、キャッチーでかっこいいなぁとか。自分の好きなことをするんだ!私の理想を手に入れるためには自由が必要なんだ!って多分本気で思っていたと思う。
でも、今のわたしにとって自由になるというは全然違う。
社会的地位や財産、キャリア、誰を好きになるとか結婚とか。得体の知れない価値観、どこかの誰かが決めた幸せの基準にとらわれずに、生きていくこと自体が、自由のような気がする。
ひとりで動けるのが自由じゃない、この価値観になってからは、仲間と進むことも自由といえるんじゃないかなと思っている。
きっとこれは人によっても、住んでいる場所によっても、自由は違うけれど、こうして言語化できたことに安心感も感じている。
情報過多なこの時代の中で、自分の幸せを選んでいくということは難しい。
自分の人生なのに、人と比べて焦ってしまうことが沢山あるし。
だけど自由の考えが変化したことでわたしには未来があるし、パワーだってある。そう信じれるようになった。
それをくれたのも、福島に足を運び始めてからだったように思う。
そこでは、誰かが勝手につくったような、嘘っぽい希望というものを感じたことがない。
酸素の薄い水槽の中に入れられ、パクパクした金魚みたいに苦しくなることがない。
そこにいるときは、風に流される雲のように、穏やかな気持ちになっている。存在欲求が満たさらているような気持ち。
ヒトの優しさと強さが広がり、いろんな価値観が集まっているからこそ、意見を聞こう話そうとする空気感がとても好きなんだと思う。
これからも変わりゆく価値観を、受け止め続けていきたいな。