自分の英語力を恨む日々がまた始まる
コロナ禍以前の京都では、カウンターだけの小さい居酒屋に入った際、自分と店員さん以外の全員が外国人ということは珍しくなかった。
彼らを見ているとどこから来たのかや、どういった行程で旅行しているのかなどが気になるので、いけそうな時はよくこちらから話しかけていた。
英語は話せないが、単語を羅列するだけや、携帯翻訳を駆使しながらであれば、意外と最低限のコミュニケーションは取れることを知って、最初は嬉しかったし楽しかった。(海外旅行者は平気で1ヶ月以上滞在する人が多く、北海道から沖縄まで回るという旅程も少なくないことは驚いた。日本人からすると、そんなところに行くのかといった発見も多い。)
日本に来ているだけあって、日本人に対して好意的な人が多く、向こうから「学生時代は何をしていたのか?」、「君の住んでいる地域はどこか?」「日本にはどんな良い部分があるか?」などを聞いてくる時もあった。
突発的な質問に対しては上手く話せないことが基本で、たどたどしく思いついた表現で返答する。
人によってはこちらの言いたいことを汲み取ってくれたり、分かったふりをして適当に会話を進めてくれたりする。携帯で翻訳する時間を待ってくれる人もいた。当然、「お前じゃ話にならん」といった怪訝な顔をされることもあった。(すみません。)
その度に、「スムーズに英語が話せれば、もっと日本の良さを伝えられるし、お互いにとって良い体験になるのにな…」と自分の英語力の無さを残念に感じていた。
それでもコロナ禍によってこの感情は薄れていき、少しやり始めていた英語の勉強も生活のルーティーンからすっかり外れてしまった。
しかし、、、
昨日数年ぶりに自分の英語力を恨む機会が到来した。
予約していた大阪のあるお店に入ると、カウンター4席の小さな空間の奥に一人の白人女性が。
コロンビアからやってきたミュージシャンという、めちゃくちゃ興味深い人物で日本の各地でプレイするために来日したと自己紹介が。この時点で、色々聞きたいことが山積みだが、思うように上手く聞き出せない。
意識が料理とお酒ではなく、英語と会話に向かってしまう。
そして、大将も英語が堪能ではなかったので料理の説明をすごく苦労されていた。素晴らしいこだわりが入った料理だっただけに、サポートできればよかったのだが残念ながらわたしにその力は無い…
彼女はわたしが飲んでいた熱燗に興味を示し、「それはお茶なのか?」などと質問してきた。
「hot sake」みたいに伝えて、少し分けてあげる。
アルコールを温める文化は珍しいので、めっちゃ不味そうな顔をしていた。
そのリアクションに上手く対応できないわれわれ。
日本酒嫌いな外国人を一人作り出してしまったかもと勝手な責任を感じる。
小さいお店だったのでわたしと奥さん、大将という現地人3人が現地語で盛り上がるのも空気的に悪く思い、彼女の隣にいたわたしは勝手に気を使い続けてしまった。
結果、料理もお酒も抜群に美味しいお店だったが、それ以上に「英語が話せていたらな…」という感情の方が強く残った体験になったのだ。
数年ぶりに思い起こされたこの感覚。多分これから、幾度となく訪れるのだろう。
別に話す必要もないし、必要であれば翻訳機能でたどたどしく伝えればいいのだが、それでは自分の中でなんとなくモヤモヤが残ってしまうというか…
せっかく日本を訪れて、縁あって話す機会が訪れたのであれば、出来る限り日本の良さとか相手の疑問に答えてあげたいという親切心が生まれてしまうというか…(そんな立派な人物ではないけれど…)
解決するためには素早く優秀な翻訳機能を探すか、少しづつ英語勉強を開始するか、迷うところだ。
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