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『奪われた僕たち』2〜5話(完結)感想

子役時代から脚光を浴び安定した演技力・キャリアを積み上げてきた須賀健太さんと、2.5次元舞台を中心に活躍する荒牧慶彦さんが挑戦したサイコスリラードラマ『奪われた僕たち』が完結を迎えました。

非の打ち所がない人気のピアノ教師だが、実は連続殺人犯という不気味な輝きを放つ光見京(扮する荒牧慶彦さん)と、映像ディレクター堺洋一(扮する須賀健太さん)の因果とは?
2人の結末はどうなるのか?
ねじれた運命の終端、ぜひ刮目していただきたい。

⚠️ネタバレ要素あり⚠️
物語の核心を突く表現は控えているので、ぜひご自身の目で本編をご覧になっていただければうれしいです。見応えがありテーマ性のあるドラマだったので、多くの方におすすめしたい作品です。




2話 〇される友達:里中将道さん

◯人のためにトレーニングにいそしむ光見こと荒牧慶彦さん、シュール。
撮影なのにわりとちゃんとトレーニングをしている荒牧さん、汗のかきかたが筋トレしたときの内側から出てくる汗だった。そういうものは芝居では出し切れない部分だと思うので、可能な範囲でいろんなことを経験しておくことが芝居の解像度には大事なのだなぁと思った。

ヒプステのオオサカ推しオタクとしては、里中将道さんのゲスト出演がうれしかったです。里中くん、顔がいかつすぎて葉っぱ売りの役がハマりすぎでは……(たまらん)そんな危ないものじゃなくてマッチでも売ってて欲しい。オタクの心に灯りをともしてほしい。そして真冬の協会で愛犬パトラッシュとこごえ〇ぬ役とか次はどうですか?強そうな顔してるのになぜか不憫な役が似合う里中君、よすぎる。

オオサカ推し懐古用(?)のサービスシーンが最高だった。同一視オタク申し訳ございませんが、簓&盧笙のコンビ萌え属性のオタク的には、あのふたりだったら簓がメンヘラこじらせて盧笙を〇して相方補完計画で永遠にするじゃないですか♩ぶすっ!ハグっ!監禁!血ぃぶしゃっ!ありがとう最高コースだったなぁ。松竹梅のコースだったら松のコースって感じだったなぁ。元ヒプステオオサカ推しのオタクは、ぜったいに見て欲しい。

里中くんの顔と体はいかついのに、優男風の光見に攫われて監禁されるヒロイン展開がよすぎる。なんかエ〇ゲ?っぽいのなんで……?ニトロプラスと虚淵玄育ちのオタク人生なので、いにしえ感のある深夜枠らしい素晴らしいメリーバッドエンド概念だった。これは好みが分かれる表現だと思うけど血ぃ出るスプラッター大好き虚淵玄さんのせいで、助かった。

堺に光見自身のことを話す場面が、台詞をペラペラ言ってるだけっぽくてうさん臭かったんだけど、あれは結局本当のことを話していたのかな??あの手のサイコみがあるタイプって嘘に本当のことをちょっと混ぜるのが上手いから、『嘘は言っていないけど決して本当のことは話さない』に持っていくという印象で。私のプロファイルが間違ってるのか、脚本のプロファイルをわざと甘くしていたのか、、
この胡散臭い空気、特有の捏造の生い立ちっぽいんだもん。光見にすぐ家庭環境のせいにするって呆れられても100%近く家庭環境に要因があるもんね(これは病棟に勤める現役臨床心理士の友人の受け売りだが)、と光見の動向を穿った目で観察するのが楽しいドラマだった。

1話の時点で光見が過去の事件の真犯人なのかと私は思ったが、SNSで皆さまの感想を見ていたら、光見も事件の被害者なのかな?という受け取り方をされている方が多かったですね。こちらの受け取り方が脚本の狙い通りな方針なのでしょうか。

こういう胸糞悪いお話が本当に好きです。私は人間が嫌いで愚かしいと思っているけど人間が好き、人類愛だから(折原臨也にあこがれている中学生だと思われてしまうのでこのような発言は控えたい)光見、ずっとそこはかとないキモさがあってよかった。
あの絶妙な胡散臭さを出せるのは2.5次元の王子様でなおかつ知性が高い荒牧慶彦さんだからやりこなせるのだと思った。根本がちっちゃくずっと矛盾してるというか、◯罪の間接的加害者を罰するなら、犯行を黙認して録画してる堺も即ボコせや!胡散臭いなー、なんなんこいつ、と観ていて本当にイライラした。

有名な理論だけど復讐は何も生まないのに。悪い気には悪いものが引き寄せられる的なの、あるやん。科学的にも非科学的にもあるやん。きっと恨みを持つきっかけがあった光見が真犯人とかで、では彼らは不幸な運命なの?それは何の因果なのか?という命題でしょうか。奪僕ワールドにのめり込んで鑑賞しました。


3話 光見の暴走する正義と私刑

堺、俺も…?!(〇られる?!)てあわてていたけど、今さら遅いよあほー!堺の愚かしさがなんだか世の中の対比構造というか、むなしくなった。これくらいの思考レベルの人いっぱいいそうだし生きづらそぉと泣いた。しかし光見のように頭がいいからといって生きやすいわけじゃないと思う。不運な家庭に生まれてこっちのルートいっただけ的な、二人の命運を分かつ構造。

よく考えると光見って優しいのかもしれない。
悪を働いた者に引導を渡す、それが◯人でも、光見にとっての愛や興味かもしれない。
だって私なら許せないものがあったときに、根本どうでもいいというか、自分の手は汚さないで地底の果てでのたれ◯ね‼️としか思わない。
光見は知性があるから実行犯を別にすることだって出来たと思うけど(たとえば竹下のような信者を工作員として小間使いするなど)きちんと自ら手を下していて、ある意味自分の人生に何か意味を見出そうとした結果、過激な私刑に走ってしまったのかな。光見の人生をかけた生きざまの立証、自分探しみたいな要素も感じました。

だからカリスマ性を感じてしまう人がいるのかな。私からしたら光見は愚かに見えるけれど、どうでもいい人たちや悪への復讐に自分の人生と時間を捧げて、さみしい人ですね。さみしい人たちの教祖様だったのかもね。
世の中って自分から発したことが返ってくるだけだと私は思うから、悪も優しさも跳ね返せば受け取らないのにとやるせなくなった。つまり復讐を選ぶと悪へ道連れで不幸になるという。悪に引導を渡す、◯られる前に◯れ!理論ではあるが、その形が光見にとっては◯人だったのだろうか。歪んでいる。

正義とは?悪とは?みたいなことについて考えるのが昔から好きなので、光見と堺の対比構造が楽しい。知性が脅威ということは絶対の答えとして、どっちに転ぶかって善悪でしかないと思うけど、不幸な因果を持つ人はどうしろと?って話ですもんね。人から優しくされることでしか救いがないとは思うけど。

ドラマ全体的に言えるのですが、須賀健太さんの動揺するお芝居がリアリティあってうますぎた。堺が本当にその辺にいそうなうだつが上がらない弱者男性っぽさがあって、須賀健太さんの演技力に脱帽だった。
須賀健太さんの加害者遺族のうんぬんのこと知ったシーンの複雑な態度の芝居がすごかった。説得力がある。そしてアナウンサー役の女優さんがかわいいしお芝居がよくてずっと助かった。女優さんと須賀健太くんの掛け合いのターンはこういう現実を見ているかのような臨場感でした。
登場する女優さんがみんなかわいいしお芝居もいい感じでした。アナウンサー役の高田里穂さん、29歳ですか……グッと来すぎて困った。色気と品性があってよすぎる。タイプの女性で助かったし、お芝居もお上手でとってもいい。


4話 〇される友達:廣野凌大さん、福澤侑さん

1番好きな回です。クオリティ高すぎてすごいし、何回でも見れる。

竹下役の福澤侑さんの出力がうますぎた。映像芝居でも良い役者さんですね!福澤さんだけでなく荒牧さんもお友達相手の芝居のほうが自然な出力になっていいと感じました。
荒牧さんはオタクから見るに、お芝居をするときにお相手と呼吸して空気を作っていく方(だからこそアドリブの事故や天然含めて爆発力があって人気の王子様)という印象があります。一人芝居や独白よりも相手がいたほうがいいのかなぁ?いろんな出力が独りよがりじゃないから、調和の人ですね。

私は人って目に見えない蓋があると思っていて、光見もずっと目に蓋がかぶっていて心が見えなくて不気味だ。優しいのに冷たい光見の本音が覗けない分厚い蓋つきな感じと、竹下の繊細な表情やリアクションがたまらんかった。ありがとうコンビネーション。

竹下のキャラデザ考えたのってどなたでしょうか?!?!?ありがとうございましたはいはいはい
私はこういう理系でかしこで陰鬱としていて女性慣れしてない男性が現実でとても好きなのですが(理系・陰キャ・高学歴たすかりハッピーセット)どうしてこんなにまで私にドストライクな侑くんをお出ししてきたのキングレコード✖︎Pastureコンビさん!と動揺してしまい、助かった。ありがとうございました。

竹下扮する福澤侑さん、福澤さんのよさは残しつつも"竹下"にしか見えないのが素晴らしい。
対人コミュニケーションに慣れていなくて、言葉がたどたどしくてオドオド目線が泳ぐチー牛・理系・陰キャの完璧な解像度をお出ししてくる福澤さんの洞察力に震える……福澤さんも外側のエビデンスやプロファイル要素からお芝居を作っている印象があるので、ご本人も人間観察とか好きそうですね。
竹下はリアクションが地味なのに、光見に褒められたり魅せられた瞬間にとっさにハッと顔に出てしまった的な空気感、繊細な表情がお見事。福澤侑さんの芝居力あってこそのキャラクター像だった。


あっさり斬り捨てられ〇されてしまう竹下、〇に方もうまかったなぁ。あと個人的にロッジでワインを飲むチー牛福澤侑さんにやたら高揚を覚えてしまった。なんなんだよぉ……。やっぱり復讐や信者・盲目的になにかを崇拝することはやめよう。完璧なものなどこの世にはない。名曲『カンパネラ』が静かな短調から後半激情の盛り上がりをみせるように……カンパネラ、唯一好きなピアノ曲だからテンションがあがった。


5話 光見と堺の行き着く先は(完結)

事件が明るみに出て事態は一転、世間を騒然とさせた光見の過去と因果がやがて明らかになる。

いじめ描写は苦手な胸糞だから、ちょっと苦手な胸糞だった。。。“刃牙の家”はおもろい胸糞でよかった。
田舎設定じゃなかったら申し訳ないのですが、田舎の胸糞描写とおそろしさをエッセンスとして入れてきていて、今のはやり感はあってよかった。ゲ謎的な因習村とかちょっとだけ作品トレンドのブームという印象がある。
田舎なんて足並み揃えないと周りには迷惑なんだから仕方ないと思ったけれども、女手ひとつで田舎に住むとかハードモードなことすなオカン。

馴染むのが上手いように見えて生きづらくて生きづらくてたまらない光見は、学校でどこか浮いて見えるくらいカリスマ性も凶悪性も両方あったんだね。きっと生い立ちとか関係なく元から生きづらい運命の人だったのかもなぁって悲しい気持ちになった。本音偽って生きるのって何も楽しくなさそうだし苦しいと思う。
能力が高くて目立つことってそれだけで輪を乱すから、普通の幸せからは縁遠い要素にもなると思う。自分の能力を生かすも殺すも自分次第だし、自分の中のモンスターを飼いならさないと自分が食い殺されてしまうんだね。

堺のラストがメリーバッドエンド厨としてはちょっと物足りなく……あれは私的にはバッドエンドでしたね。血の涙、ドライアイかもしんない。

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感想まとめ(よかったポイント)

🔸胡散臭い荒牧さん
🔸人間味も中途半端に残っているサイコパス荒牧さん
🔸白い服が血に染まる荒牧さん
🔸荒牧さん特有のよくいえばジャンプっぽいアニメっぽい舞台向けの2.5の王子様たる舞台らしい要素、チクチク言葉使っちゃうと芝居がかったわざとらしい演技が、光見の虚構の善像にマッチしすぎている。
過剰適応を押し込めて凝固したみたいな、本来の自分を出さずに本音で喋ってない人そのもので胡散臭かった。ステレオタイプな会話の受け答えを想定して喋っているから、こっちが変化球を投げて崩すと一瞬でピリッとした空気が出るタイプの人。現実にもいるこの教師、公的機関タイプの人種が私は苦手だなぁと思った。そう思えるくらいの説得力があり、いい解像度、いい犯◯者だった。
🔸福澤侑くんの演技力が素晴らしかった。同時期に全く違うタイプの役柄をドラマで演じていた福澤侑くん、比較がしやすく、福澤侑くんの好きな要素はあるのに、役の"竹下"そのものにしか見えない見事な演技力があっぱれでした。
🔸光見と竹下の関係性(侑くんの演技力ありきで入れれたくだり)
🔸◯されるのうまい友達たち
🔸須賀健太くんの演技力
🔸女優さんのビジュアル&芝居力
🔸トマト✖︎実在事件のオマージュ、罪とは?正義とは?の命題
🔸村人さん含め周りを固まる方みんな芝居が上手くて自然なので自然と見れちゃうし豪華だった
🔸さまざまな大人の力

カンパネラのような男、光見京(思想注意)

光見京として彼が生きた生涯は、静かで美しく、同時にけたたましく鳴り響く鐘の音のような激流のカンパネラだった(光見京ポエム)。

命に平等などない。
だって能力や家庭環境には生まれつきの格差がある。SNSで他者の"普通"が見えてしまう現代に生きる人は誰だって、なんで私だけこんなに人生ガチャの引きが悪いんだろうって、羨ましさや苦しさを一瞬は持つと思う。家庭環境だったり、顔のつくり足の長さ、そういった不公平という覆らない事実に追いかけられて足掻いている。

その不公平に対して"命の重みに格差をつける"のが政治や刑法の役割だと私は思う。これは冷たい見方かもしれないけど。
『強き者が、弱き者を助ける』これが人類の見つけ出した助け合いという発明で、弱い人たちを見殺しにしないためにって考えから出来ていて、政治って元来は愛の構造なんじゃないかな。

光見が言葉にしていた"命が平等"という思想は、どちらかといえば官僚的な実行の役割から出てくる価値観だろう。政治家に進言する立場の、極めて合理的な判断に基づく発想だと思う。
例えばトロッコ実験で、子供と老人がレールの分岐先にいるとする。そこで迷いなく"老人"側へレバーを引いて未来と生産性のある子供を存続させることが、社会的"平等"の立場を貫くということだ。平等とは、社会全体の利益のために『切り捨てられる』人が生まれるということだから。

"平等な命"を定義する、社会的価値観の『この命を尊重します、守ります』『この命を切り捨てます』という軸を決めるのが政治なのだと私は思う。その価値や主義が変われば、切り捨てられる立場は変化する。それは時に貴族だったり、知識人だったり、一般市民だったり。

光見京がやったことは、思春期のフラストレーションの延長であり、なおかつ政治・革命の真似事のようでもある。
光見は過去の生い立ちから"罪を犯した者、それに伴う間接的な犯罪者"を悪と定義した。光見というトップが定義した正義に基づき、"◯人"という私刑を(級友であろうが関係なく)一貫して実行し続けた。
だからこそ、SNSで光見の犯行が露呈した際に、一部の人々はそのカリスマ性や思想のメッセージ性に共感し、賛同する信者までもが現れたのだと思う。

でも人類は歴史の中で、同じ流れを経験してきたと思うんだよね。たくさんの命の犠牲を伴った痛みを歴史として知っているはず。
持論だが、負の歴史遺産の根本原因を辿ってみれば、だいたいの発祥がコンプレックスと思想の偏りによる私刑だと感じる。特定の人種、階級の層を悪としてこらしめた結果が人類の負の遺産の跡だろう。どの国、どの時代でも過激化した主義は独裁へと繋がり、暴走化してしまいがちだという記録がこの世界線のアカシックレコードには刻まれている。

それはまさに光見が『東京23区に毒ガスを撒く』という発想に至った思想の暴走に描かれていたように、過激な武力行使を伴った独裁と大量虐◯は隣り合わせらしい。だからこそ過激思想の独裁はとても危険なのだと思う。


光見って性善説論者だったのでは?と感じた。
光見少年は良い人が世間のベースだと思っていたから、村八分されたときに村人に裏切られた、裁きを加えねば、となったんじゃないかな。
性善説って若さだよね、みたいな話に友人となったことを光見をみてて思い出した。私だって若いうちは周りがいい人だと思って生きていたけど、実際そんなことなかった。汚い大人も嫌な奴もいるし、いい人なのって体感人口の2割くらいじゃんって思っちゃう。
性善説的な捉え方をしていた時期ってまだ世間知らずで、無責任に他人に主導権を委ねていたのだと思う。それが甘えだし若さなのだと私は自分の中で腹落ちしたから、他人にいちいち動揺したり揺さぶられることはほぼなくなったけど、光見の中では20代後半になってもフラストレーションの炎が消えることなく、ずっと絶望の淵に落ちて、怒っていたんだろう。

人類はだいたい良い人ではない。でもダメな奴らも赦して、愛することが本当の優しさなのではないかと私は思い至っている。誰にだって悪はあり、でも更生することを待つ愛があっていいと思う。
『世の中だいたい良い人』だと考えて生きていると、途中でアレ?って違和感にぶつかる。だってみんな完璧じゃないし良い人ばかりじゃないもん。

また村人の立場を考えてみれば、彼らだって生きることに必死だったんだと思う。田舎出身の私の視点から言えば、村単位で存続しているような組織で足並みを揃えないということは部落ごとの崩壊に繋がるから、集まりに参加しないとか片親みたいな異物って危険な不要因子だったんだと思うよ。

良い人じゃなくてもいいから、そういう不完全で愚かしい人類を愛して、相手の立場を察して付き合っていかないと。光見に足りなかったもの、彼の母親に足りなかったもの、『想像力』そして『愛』なのでは。
では生まれつき恵まれなかった家庭の子はどうなるのか?犯罪の被害者はどうなるのか?同じ村にいても堺と光見のように道を分かつ人の違いは?運なのか?などと考えると人類が抱える哲学になってくる。『与えられた人生サイコロの目でがんばれ』としか言えないけれど。

司法は制度で私刑は感情、私刑は何も生まないような気がするよ。
昨今はSNSで私刑が可視化できる時代だけれど、私刑による排斥は村社会の時代から存在したとのことだ。村の中でレッテルを貼ったり、冤罪をかけられた家庭が家をボコボコにされ最悪火をつけられたケースも実際にあるらしいし。
悪いことした奴は許せないという感情、生存本能。私は自分が関わってる人に影響があるなら全力で牙をむいていいという価値行動基準を持っているけれど、自分に実害がない場合は筋違いだし首を突っ込むのは迷惑かなと感じる。
しかし無関係な事件にまで怒りが向く人はたくさんいるし、それは人間の生存性バイアス的な本能なんだと思う。私刑で正義の味方になったつもりで無関係な人を叩いて気持ちよくなる人は村の時代から存在したのだろうな。現代にも重なる問題にいろいろと想いを馳せてしまう。

光見京へ
命に平等などない
平等だと思うから許せないし恨みを晴らしたくなるんだよ
誰かが誰かを成敗するって繰り返されるとめちゃくちゃになっちゃうからそのために人が政治や法律作って治安作ってきたんじゃないの?
賢いのになんで気づかなかったんやアホ
もう自分の手を汚すな
反省して来世がんばれ、、、

荒牧慶彦さんのドラマや役柄に対する振り返りをニコ生で聞けるのが楽しみだ!


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