他人軸から自分軸への私史(わたし)

『自分時間を生きる』を読んでみて感じたこと



最近、佐宗邦威 さんの『自分時間を生きる』を読みました。


その中で、以下の二つがかなり印象に残りました。

①効率化すればするほど、新しい仕事が入ってくるため、いつまで経っても第二領域(緊急ではなく、重要)にたどり着けない、生産性の罠に陥っている。

実際に僕の人生で起こっていたことは、時間を効率的に使おうとすればするほど、結果的に仕事が増えていったことだった。生産性を上げて、時間を貯めようとしているのに、それに注力するほど「時間がなくなっていく」という矛盾

『自分時間を生きる』P4抜粋

②外的要因による変化であるチェンジから、内的要因による変化であるトランジションにフォーカスする。

トランジションしていくためには、自分軸を大切に扱う自分時間が必要であり、多くの場合、他人軸での時間を余儀なくされる時間泥棒が私たちの周りには溢れてします。

僕は、コロナ禍前までは、常に他人を意識していたと思う。僕たちの仕事は、同僚わお客さんなど他の人と一緒に仕事をして成り立つ。他の人からの依頼があったり、メールやSlackでメッセージをもらい、それに反応する形で日々を過ごしていく。合間には、SNSのタイムラインを流し読みしながら、誰かのキラキラ投稿を眺めつつ自分も頑張らなきゃと思う。他人がベンチマークになることで、自分のペースが上がっていく。これらは、あくまで他人が起点の「他人時間」の生き方だ。

『自分時間を生きる』P7抜粋

書籍の中で、紹介されたトランジション理論に対して、何かグッとくるものがありました。

※トランジション理論
①終わらせる時期
これまでなんとなく惰性で続けている生活や習慣、仕事などをしっかり終わらせる。
それによって新たなものを受け入れる余白が生まれる
②ニュートラルな段階
過去のステージをいったんリセットすると、方向感覚が失われて不安に襲われる。
それでも、日々の感覚に意識を向けて、感性を刺激するような生活を意識的におこなっていく。
そのような過ごし方が大切な時期
③次のステージを始める段階
あれこれと模索を続けるなかで進むべき方向が見えてくる。そこからはモードを切り替えて、その方向に向かって積極的に行動に移していく


そこで、自分自身の振り返りを兼ねて、トランジションを経験したと認知した体験を言語化していきたいと思います。
日々忙殺されていると、こういった振り返りの機会を作ることができないため、貴重な時間をいただいた、この書籍と佐宗邦威 さんに感謝しています。

「自己成長」の限界を迎えた直面期

2019年11月に転職を決断し、当時の代表に直談判を行いました。
なんの前触れもなかったため、当日の代表はかなり驚いたと思います。
次の職場は未経験からゲーム開発に携わるエンジニアポジションとして選考が進んでいました。
当時、私は「自己成長をしなければ死んでしまう」くらいの逼迫した危機感を常に感じており、自己成長への停滞感を覚えると、現行で繋がっている関係性や役割を断ち切り、新しい環境へ身を置くというサイクルを持っていました。この波が3年単位くらいで何度も訪れ、その度に新しい環境に飛び込むということをやってきました。
ところが、代表から「これまでのことは本当に感謝している。けれど、やりたいことって本当にそれだったんだっけ?」という問いかけを貰い、私の中でもなにか喉元に引っ掛かるモヤモヤしたものを感じました。
このモヤモヤを紐解くと、転職した先で瞬間的には自己成長への危機感は治まるものの、3年後にはまた危機感を感じる今までのサイクルと同じ状態となってしまい、ゴールが見えない状態に身体が拒否反応を示していることに気づきました。

そこで、「転職する」か「転職しない」かを一度立ち止まって考えてみることにしました。
1週間ほど休みを取得し、
「なぜ、自己成長しなくてはいけなかったのか?」と向き合うことにしました。

原体験の痛み


「なぜ、自己成長しなくてはいけなかったのか?」「いつから、自己成長の危機感に取り憑かれていたのか?」を現在から幼少期にかけて振り返ってみると、小学5年生のときの一つの体験から来ていることがわかりました。
家族経営に近い仕組みで回る小売店で働いていた両親は、会社の社長とも関係性が深く、また大学に通った経験がなかったことから子どもへの教育に対して社長に意見を仰ぐ姿勢をとっていました。
ある日、私がサッカーを習いたいと両親に伝えたところ、社長からは塾に通わせるべきだと言及されており、母は自分の希望ではなく、社長の意見を尊重し、結果的に日能研に通うことになりました。
母がじぶんではなく、社長の意見に傾倒したことに大きなショックを覚えました。
その瞬間、心の中でプチッと糸が切れる感覚を覚えました。「だれも守ってくれないんだ」という痛みを感じ、この時から自分の身を自分で守る術を身につける覚悟のようなものが定まったことを思い出しました。
自己成長に取り憑かれていた背景は、「だれも守ってくれない」痛みから自分を遠ざけるためだったことが原体験へのアクセスで見えてきたのでした。

ニュートラルゾーン

自己成長への危機感→転職→新天地での技術習得→自己成長への危機感
というサイクルでは、環境は変わるものの同じことの繰り返しを送ることになってしまうため、別の手段を探す必要がありました。
ただ、どんな手段を取れば良いかがわからず、次の指針が定まらないまま不安定な状態で日々を送っていました。
自己成長への危機感も継続的にじぶんを焦らせたため、まずはこの自己成長への危機感を手放そうと思いました。
自分にとって、自己成長のために軸として実行していたのが日々の振り返りから考察を得て、次の行動を決めるサイクルで、いわゆるPDCAでした。
そこで、そんな自己成長の象徴でもあったPDCAを封じるとどうなるんだろう?と思い、仕事に支障をきたさないくらいに習慣となっていたPDCAを手放し、プライベートでも収支のPDCAを回していたため、こちらも封じました。
仕事での業績が振るわないと途端にモヤモヤが現れ、その度に自己成長への危機感やだれも守ってくれない痛みを感じ、感じきるという拷問のような時間を過ごしました。。
これが不思議と、何度も痛みと対面していると当日の経験と痛みを分離して受け入れることができました。
「成長しなくてもいい」という言葉を受け入れることができ、自己成長への葛藤がなくなっていきました。

自己統合的な自分

原体験での本当の自分は、何がしたかったのか?を考えると、サッカーがしたかった。サッカーがした方のはなぜだったかというと、友人がサッカーをしていて習い事ができることが羨ましかったから、という感情が出てきます。
幼少期には、金銭的な理由で習い事はできないという思い込みがありました。
習い事とは、私にとって好奇心を埋めてくれる事柄のことを指しています。
今の自分が持っている好奇心は何か?を洗い出すと、以下のようなものが出てきました。

【好奇心を感じるもの】
・地方移住(東京を手放す)
・自給自足(農業をする、太陽光をつける)
・古民家カフェorコワーキングを行う
・執筆活動を生業とする

現在、東京を手放し、群馬への地方移住を行いました。
今まさに、自給自足のための準備を行なっています。

自己統合的な自分はまだまだ模索中で、今はまだニュートラルゾーンにいる気もしています。
今後も自分の葛藤をことばにして、自分の身体感覚にアンテナを立てていきたいと思います。

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