緊急地震速報と私たち
昨日の午前9時40分ごろ、パソコンで大学の課題をやっていたときベッドの上に置いていた僕のスマホが突然鳴り出しました。初めてというわけではないものでも、数秒はうろたえました。
激しく鳴るスマホとテレビのリモコンを持って勉強机の下へ。テレビの画面をつけてすぐさま情報を得ようとしました。大きな揺れが来るのではないかと心配しましたが一向に来ませんでした。中学の理科で学んだ地震の揺れの伝播について考えながら(そんなこと考えてる場合じゃない)「震源からの距離的に揺れてもおかしくない時間はとっくに過ぎてるのに」と思いつつしばらく机の下にいました。するとテレビのニュースから、「今の緊急地震速報は誤報だった。」という情報が入ってきました。僕はとても安心しました。しかし、そこから少ししてSNSを見ると上がっていたのは気象庁に謝罪を求める声でした。僕はそんな声が上がることを疑問に思いました。「大災害が起きなくてよかった。」で済む話ではないのかと。
2011年以後の地震大国の防災意識
2011年の東日本大震災以後、日本国内での防災意識が確実に高まっていることは震災当時小学生だった僕も感じています。何歳か上の先輩が使っていた教科書と比べると自然災害(特に地震)についての記述量が増え、高校や大学の入試でも関連問題が出題されるようになったのはここ数年だと思います。学校での避難訓練も緊張感が高まったように感じました。僕の知り合いで小学校の教員をしている方は、「小学1年生の授業中に行われた訓練で子どもたちが教員側から指示を出す前に机の下に入る姿に感心した。」と話していました。このように日本国民全体として災害に対する危機感が明らかに高まっていることは良いことだと思います。おそらく昨日の緊急地震速報の際も多くの人が自分の身を守る行動をとろうとしたと考えられます。しかし上がった気象庁への謝罪を求める声。別に故意に流した誤報ではないし、機械の不調なんてあり得る話だと思います。より高い精度のレーダーを求めることは間違いではないと思いますが、現状できる仕事を果たした気象庁を責める理由はないのではないでしょうか。また今回の件で謝罪を求めた人々が緊急地震速報を信じなくなるということも考えにくいです。文句を言っておきながら結局頼るしかないのです。気象庁の今までのはたらきかけが間違いなく、日本人の防災意識の向上に一役買っているのですから。むしろ大災害を未然に防ごうと働く方々に感謝しなければいけません。
これからの防災
今回は誤報ということでしたが、大地震はいつ起きてもおかしくないというのが日本の現状です。そのため間違っても「また誤報かもしれない。」と気を緩めてはいけません。加えて現在のコロナ禍で災害が起きれば想定外の事態も起こり得ます。そのことも見越して新しい生活様式ならぬ新しい防災様式を考える必要もあると思います。そのためには個々人の意識が大切だと僕は考えます。
僕の場合、現在住んでいる神奈川県では首都直下型地震など関東を震源とする大地震が起きれば少なからず被害にあうことが考えられます。さらに実家のある愛知県では南海トラフの大地震、東海地震が起きればそれ以上に甚大な被害を受けることが予想されます。僕の実家はその場合に津波の被害を受ける可能性が高い地域にあります。そのため小さいころから地震が起きたら高台にある中学校まで走って逃げろと言われて育ちました。地域によって違いはあると思いますが今一度、地震に対する意識や考え方を見直してはいかがでしょうか。そして準備をしたうえで緊急地震速報が誤報だったとしても「謝れ気象庁!」ではなく「本当に起こらなくてよかった。」と思えるようにするべきではないでしょうか。