「苦労の思い出のアルバム」も必要じゃない?
紫陽花が大きな花をつけはじめました。広い土地に育つ紫陽花は、小山サイズで特大ブーケの威風堂々さ。その迫力に目を奪われる季節がはじまりました。
みなさんお元気ですか。
先日「うわっ。ヤバいな」と思ったことをnoteに書きます。おそらくその「ヤバいな」と感じたことも忘れてしまうので、そうならないうちに。
家族で小旅行に行くことになり、準備をしていた時です。
ホテルにプールがあるということで、子どもたちのために水着を用意していました。その時長女が「ああ、生理と被りそうだから、プールだめだ。他の遊びないの?」と言ったのです。
なるほど、もちろんそういうこともあるだろうという気持ちより前に、突然の暗雲のように巻き起こる気持ちがありました。
「チッ。めんどくさいな」
・・・・・・!
自分の中からそうとしか言いようのないグレーの気持ちが生まれて、びっくりしたのです。
自分自身に生理が始まって、30年を超えそろそろ更年期もスタートで、規則正しかった28日周期は24日になったり30日や45日になったり、乱れつつ生理自体がなくなっていく気配になっていました。
生理がきてもそれほど慌てる血液の量じゃなかったりして、圧倒的にこれまでより負担が少なくなっている最近です。
白いズボンを履けばいつだってお尻が気になって、白いタクシーの座席から立つ時はいつでも不安な気持ちで後ろを振り向いていたようなビクビクから解放され、自分の体調を気にしないでいいことに慣れはじめていました。
だから。
だからなのか。
10代の女子の当然の不安【毎月1週間ほど生理があってなんだかんだ困る】ことが「配慮を強いられてめんどくさいこと」に思えるのは。
恐ろしいな。
これ本当に恐ろしいことです。
30年強も当事者だったのに、その不快も不愉快も痛みもわかりすぎるほどわかるはずなのに、ほんの数年当事者感が薄まっただけで「めんどくさい」と感じる・・・。
そりゃあ一度も当事者になったことのない男性が「配慮するのめんどくさいな」と思うことも当然なのではないでしょうか・・・。同じ女性でさえこの有様では。
日本の人口で言えば、だいたい生理のある期間である12歳から50歳までの女性は約3000万人。
同じ女性であれば永遠に「生理の辛さ、わかる〜」でないとするならば、9000万人は「生理の人を配慮するのめんどくさい」と思っている(思う可能性がある)ということになってしまいます。
生理もそうですが、これは他のどんなことにも言えて、【妊娠期間の辛さ】【乳幼児を抱えている期間の辛さ】【ベビーカー移動の困難】【足を骨折した大変さ】などなど、自分がその対象でなくなったらどんどんリアリティを持って感じられなくなるのです。
カルピスの原液の量は決まっていて、その苦労を脱した日からどんどん水に薄められていくような感覚。
そのうち何の味もしなくなるのだとゾッとしました。
そのカルピスの味は苦労の味だけど、自分が経験した苦労の味を忘れることほど恐ろしいことはありません。
思い出作り思い出作りと人生の中で何度も「思い出」のために奔走することがありますが、「苦労の思い出」だって専用のアルバムがあって然るべき財産なんじゃないか・・・。
だって当事者じゃなくなったら何でも忘れてしまうんです。
6歳の小学校入学でどれほど緊張したか忘れていくように、中学で英語の小文字が覚えられなくて情けなくて泣いていたことを忘れるように、高校で友達ができない期間の不安を忘れていくように。
口に出すことはなくとも「若い女の人はみんな生理がある」「外からわからなくても妊婦さんかもしれない」「男女関係なく、外からわからなくても体調が悪い可能性がある」など「可能性をわかっている」状態でいられるかどうかが思慮深さであり、優しさの大元の感覚なのだろうなと思います。
「チッ、めんどくさいな」
これが優しさの反対側の心持ちです。冷たくて硬くて、実行力はあっても想像力のない伸び縮みしない針金のよう。
硬い針金じゃなくて、「ああそうだよね。わかるよ」といつでも人の状況を受け止められるゴムや風呂敷のようになるにはどうしたらいいんでしょう。
誰に開陳しなくてもいいから、自分だけの「苦労のアルバム」を作ってみるのはどうでしょう?
・いじめられた時の苦労
・生理で失敗した時のたくさんの苦労
・将来の仕事を決める時の苦労
・受験の苦労
・学校で友達ができない苦労
・仕事がうまくいかない苦労
・妊娠出産の苦労
・育てる苦労
・介護の苦労
・お金の苦労
テーマがでっか過ぎてここから無限に苦労の解像度が上げられそうですが、自分だけはせめてこれらの先の自分の体験を忘れないでいたら、「他の人もいろいろあるんだろうな」くらいは思うことができるのです。
ああもう人生ってたいへんです。苦労さえ忘れないほうがいいなんて。
そしてやはり「自分の苦労を忘れない」ことで見える世界も狭いので、自分じゃない人の苦労のアルバムも知ることができたら嬉しいのです。
私はやっぱり男性の苦労の実感は得難いのです。
誰にだって言いにくい苦労がきっとあるけれど、晴れがましい瞬間の思い出のアルバムと同じくらい厚みがあるはずの「苦労のアルバム」を知りたいのです。
当事者にならないとわからないことの多い世界。
でも誰かの苦労のアルバムを見せてもらえることなんてなかなか難しいことです。
だからいろんな友達がいたほうがいいのかなあなんて思います。
だから物語にたくさん触れたほうがいいのかなあなんて思います。
そして誰かの苦労を知る事で、共感しつつ「その場合はこうするのがいいよ」という対処法を出してあげることもできます。
「チッ、めんどくさいな」と思った娘の生理には、「低用量ピルを処方してもらって、生理期間をずらすこともできるよ」と提案することが私には可能でした。
「そんなことができるの!?」と娘は驚いて、そしてちょっと嬉しそうでした。
生理だって多少はコントロールできるんだという希望も、生理の先輩は知ってたりします。
当事者でなくなって生まれる「めんどくさい」を封印して、たくさん話をしていける関係でありたいものです。
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末次由紀のひみつノート
漫画家のプライベートの大したことないひみつの話。何かあったらすぐ漫画を書いてしまうので、プライベートで描いた漫画なども載せていきます。
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