楽しいボランティア・洗濯編
みなさんは小学校の家庭科でどんなふうにどんなことを学んだか覚えていますか?名前シールがついた裁縫セットをどんなふうに開けたか、裁ち鋏をどんなふうに使ったか、その使い方を教えてくれた先生はどんな人だったか、覚えていますか?
覚えているような覚えてないような・・・
チラチラとあの日の教室の空気が目の裏側から広がってくるようで、ボランティアとして参加する小学校の家庭科室の空気はわくわく心躍るものでした。
あの日のことを覚えていなくても、玉結びはできるし、洗濯のやり方もわかる。体のどこかに誰かが教えてくれたことが残っていて、今も自分の生活を支えてくれています。
授業というもののスタイルはさまざまかと思いますが、今回家庭科で扱われた「洗濯」も、
【汚れがつく→汚れをよく見てどんな性質の汚れか検証する→(油汚れでない場合)濡らす→洗剤液につける→もみ洗いする→すすぐ→すすぐ→すすぐ→絞る→のばして干す→乾いた後、洗濯機で洗ったものと洗い上がりに差があるのかを調べる】
という細かな行程全部を生徒に体験させるものでした。
間違ったやり方をしいてもほどほど放っておいて体験させ、最後の座学でプリントでまとめられた文章を読む時、「なるほどな〜」と思いました。
「あ、まちがった」「あ、そうだったんだ」と思うようになっているというか、行程の意図を後から文章で見ることで、知らなかったことや間違っていたことを自覚する流れになっていたのです。
みなさんも覚えがあるかもしれませんが、教科書に書いてあることを読んだだけではなかなか芯に受け止めることができず、身につきません。
そこに書いてある言葉は、どんなに素晴らしい正論が書かれてあっても「誰のものかわからない言葉」で、そのような関係性が構築されてない言葉を人は大事に受け取ることができないのです。
https://www.webchikuma.jp/articles/-/2607?page=2
鳥羽和久さんの本やブログが好きでよく読み返すのですが、言葉の取り扱いでいったら本当にこのことが大事なんだなあと「伝わらない」と思った時によく感じます。
どこかの誰かの言葉を借りてきて説得力を増そうとしても、上滑りするだけで何も伝わらないのです。
プリントに書いてある大事なこと。
「ポケットの中身を点検する」
こんな簡単なことさえ子供達は言われただけでは実行できません。
ティッシュが粉々になって衣服にへばりつく恐怖を、おむつのポリマーが散乱して衣服にまぶされる戸惑いを、味わうことのないうちに「わからせる」ことは難しいのです。
だからわたしは本当は「洗濯機で洗ってマリオのゲームがパーになった」というエピソードで子供達をゾッとさせなければならなかったし、
「AirPods(25,000円)が二度と聞けなくなった」と言って悲しい想像で満たしてあげないといけなかった。
でも世界に名だたる巨大企業はそれよりももっともっと上手だった・・・。
「間違ってた」「思ったのと違ってた」そう思った時に学習効果は倍になると言います。
「間違ってた」「思ったのと違ってた」
「正しいことを学びたい」
好奇心のスイッチが押され、その時やっと「知らなかった」が「知りたい」に反転します。
好奇心があるということは、自分が「知らないということ」を知っているということです。
「switchのゲームを洗濯乾燥しちゃった」と言った時に生徒さんたちに入った「それからどうなったのか知りたい」というスイッチ。
私は恥をかきながら「この話をお家の人にもしてくれたらいいなー」と思っていました。
「今日ボランティアに来てくれた人がこんなことしちゃったって言ってたよ。めちゃくちゃだよね。ニンテンドーのゲームって丈夫だよね。アップルもすごいよね」
そんなふうに話してくれたらいい。
わたしと生徒さんの間に関係性の糸が立ち上がって、そこに立ち会った私たちにだけが得る「すごいね」という思いが心に刻まれるとしたら、
そして生徒さんが大きくなって、いつか同じようにボランティアで家庭科を見守る時に「こんなふうなことがあったな」と思い出してもらえるとすれば、こんなに面白いことはないんじゃないかと思います。
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末次由紀のひみつノート
漫画家のプライベートの大したことないひみつの話。何かあったらすぐ漫画を書いてしまうので、プライベートで描いた漫画なども載せていきます。
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