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絶え間なくバトンをつなぐ。自分を信じる力について。

高校から新聞部で就職も新聞社、まっすぐ文化部の記者になった女性から質問を受けながら、彼女のノートの取り方をじっと見ていた。

質問に答えるわたしの言葉を追って、彼女のペンが走る。ボイスレコーダーが会話を録音しているけれど、その上でノートを取る。

「ちはやふる基金の設立の経緯は?」「なぜ競技かるたの漫画を描くことに?」

彼女が書き取れるスピードで話そう。

答えることに慣れた質問であっても、そう思う気持ちがあると、もう一度肚に捉え直す時間がある。反射ではなくお腹の中でその答えを得た時間を思い出すと、再び温度の乗った言葉になってでてくる。

「百人一首の魅力とはなんですか?」

お正月向けの新聞の文化面の記事になる取材だ。そこに収まることができるように、自分が感じる百人一首と競技かるたの魅力を話したけれど、本当のところはうまく言葉にできなかった。

人は知識や教養を求めている

人は知識や教養を求めている。知識や教養がないことをどこか恥ずかしいことに思い、知識人の言葉をありがたがる。それは自分にももちろん当てはまることで、無尽蔵のように湧いて出る文化的知性を待つ人を尊敬する。

でも、真の意味で教養があるというのは、そんな劣等感の裏返しのような気持ちで手に入れるものではないことも、切実に感じる。文化を愛する気持ちには、優劣を超えたまた違う手触りがあると信じているのだ。

たとえば新聞取材などで、自分のこだわりを披露しなければならないような場に来るといつも思い出すのは、わたしの好きな百人一首の一首だ。

逢ひ見ての のちの心に くらぶれば
昔はものを 思はざりけり

権中納言敦忠(43番)

百人一首になぜか惹かれていた小学五年生の頃の私は、なぜか50音順で覚えようとしていた。

「あ」から始まる16首の中でも「あい」の決まり字を持つこの歌を私は初めて覚えた。そのせいなのか、意味を調べても、心の中で味わっても、どうしても、どうしても特別な歌として、きっと一生君臨するこの一首。

この歌に文化を愛する柱をもらった気がするのだ。

これは後朝(きぬぎぬ)の歌である。平安時代は男が女の元へ通った後、帰ってできるだけ早くラブレターを女性の元に送る。とにかく早いほうがいい。早ければ早いだけ愛情が深いことの表明とされていた。

権中納言敦忠のこの歌も「あなたと逢瀬を重ねた後となっては、その前の会いたいと思う苦しみなど、何も悩んで無かったかのようですよ」という、男から女への歌である。

そのような時代背景を感じつつこの歌を読むことも面白いけれど、そんな文化を交えた学びの前に、私はこの歌の「決定的な瞬間を表現する力」に絡めとられた。

その前と、その後では、体の全部の細胞が入れ替わったような瞬間がある

「あなた、癌ですよ」

「あなた、妊娠してますよ」

そのような言葉でも、見える世界は全く変わるだろう。不可逆なその変化が人生のどこかで起こり、そしてもう元の自分には戻れない。そのような世界の割れ目を歌う歌だと私は感じた。

私は感じたし、その読み取りを信じた。この読み方が自分にとってのこの歌の真意であるし、そう信じることが自分の培養すべき思いであると、それこそ細胞単位で受け取ったのだ。

文化も芸術も、人を豊かにすると同時に、卑屈にもさせる。歴史あるもの、価値のあるもの、文化と系譜の中で意味をもって培われたものに対し、「そんなことも知らないの?」と思われたくなくて、なんとか知識を詰め込もうとする。拠り所にする学び、バックグラウンドのなさに不安になって、すぐ役に立ちそうな何かをインプットすることが自分にもある。

そんな時に、どうしても思い返すのは、おそらく内田樹さんの言葉「教養とは、欲しいと思う前にもう手にしているもの」であり、芦田宏直さんのこの言葉。

欲しいと思う時にはもう手遅れ

欲しいと思う時にはもう手遅れであり、勉強が足りないと焦る頃にはもう後付けの単なる知識になっている。

けっこうな絶望を打ち込まれる。

けれど、「あいみての」の歌は私に教えてくれる。

教養と感じないまま持っている「好き」だと何かを思う気持ち、他者基準でなく価値を感じている何かこそが、信じるに足る自分だけの文化なのだ。

「価値がある」とされるものに出会って、「自分自身でどう感じたのか」を、何よりも大事にしていかなければならない。

「価値がある」とされる百人一首のことを、よく質問されるからこそ余計に思う。いろいろ言うけれど、あなたにとって響く一首が見つかりますように。見つからなくて、BTSが最高!だと感じたら、その気持ちを大事に言葉にしてしていけますように。

おそらく自分の寿命を超えて遠く遠くまで行くであろう権中納言敦忠の歌が、また誰かの細胞を入れ替えるよう、私は願ってバトンを繋いでいく。

そんな話はできぬまま、新聞社の取材は終わる。「ボイスレコーダーで録音してても、ノートも併せて取るんですね」と記者さんに言うと、「その時の熱量がノートには残るんです。ハッとした言葉などを強調したり」という言葉が返ってきた。

百人一首や競技かるたにずっと関心があったという記者さんの眼差しは、とても話しやすく、「良い文化を膨らませたい」という想いが伝わってきた。

出会い続けることで、火花のように「ハッとする瞬間」は増える。言葉にする機会をもらえたことを、今日も感謝しつつ。

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