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ムーンライトパーク〜宇佐見梨花と都市伝説

 梨花は最近、母親と折り合いが悪い。母親が憎いわけではない。大事にされているのはわかっている。ただいつの頃からか母親が本当に自分を見ているのかわからなくなっていた。
 あの子は勉強ができるのよ、と母親が誰かに話すのを聞いて梨花は勉強を頑張った。友達の数を自慢されればグループを掛け持ちしたし、男子に人気があるのよと聞けば苦手なタイプにも愛想を振りまいた。しかし中学の終わりの頃になると母親の理想からどんどん乖離していく自分に苛立つようになっていた。
 できることもあればできないこともある。得意なものもあれば苦手なものもある。好きなものもあれば嫌いなものもある。自分とは一体なんだろう。私らしさってなんだろう。疑問はいつもそこに帰着していた。

 ある時、あなたに似合うわよ、と母親に買ってもらったスカートをクローゼットで見つけた。これは私のものじゃない、何故かそんな気がした。ハサミでスカートの裾をギザギザに刻んでみた。そうするとやっと自分のものになったと思えた。
 しかしそれを着て出かけようとした時に母親に見られた。切り刻まれたスカートを見て表情を変えた母親は、無言でダイニングに行って座り、テーブルに肘をついて組んだ手に額を押し付け、肩を震わせた。その夜父親にその事を咎められたが、友達の間で流行っているとか嘘の理由をつけて誤魔化した。
 それ以来普通に暮らしてきた家がなんだか居心地の悪い空間になった気がする。それでもいいと梨花は思った。もっと私だけの何かを見つけたい、そんな欲求が今の梨花を支えていた。

 居心地の悪さを感じた時、梨花はよくこの公園を訪れる。いつものベンチに腰をかけ、本を読んだりぼんやりするのが好きだった。幼い頃、両親によく連れてきてもらった思い出の場所でもある。
 空のビジョンは雲ひとつない青空を映し、人工的な風が時折あたりの木々の葉を揺らした。建物エリアから植林で区切られた広い公園の中央は広場になっており、よく見ると丸く仕切られて少し盛り上がっているのがわかる。内側は芝生で整備され、くつろいだり運動をする居住区民の憩いの場となっていた。
 この公園は観光パンフレットにも載っており、梨花は前に友達とそれを見たことがあるのだが、月にあるのに"ムーンライトパーク"っておかしくない?と笑ったのを覚えている。地球からの観光客にはその方が通りがいいという事らしいのだが、昼間よりも夜の方が観光客が多いのは、パンフレットの写真がライトアップされた夜景の写真だからだろう。

「あら、あなた月のお嬢さんね」
 声をかけてきた婦人はどうやら観光客らしい。地球から来た観光客は居住区内でもずっと宇宙服を着てキャリーバッグを引いているからすぐにわかる。あと失礼ながらだいたいみんな太っている。宇宙服は梨花なら2人入りそうなサイズでかなり横に大きい。婦人は脱いだヘルメットを背中の方で固定し、大きなネックリングから顔だけを出してニコニコと微笑んでいる。後ろには夫だろうか、似たような格好で男が控えていた。
「月の女性は美人が多いと聞くけど本当なのね。羨ましいわ」
 定番のお世辞だが、実際梨花は美しかった。肩まで伸びる栗色の髪は毛先がくせ毛のせいでカールしており、お気に入りのパーカーは胸のラインや腰のラインを上手に隠すものの、裾を切り刻んだせいでさらに短く見えるスカートが、そこからスラリと伸びる白い脚を引き立たせた。そんな居住区でもひと際目を引く美少女なのだが、梨花自身にはそういう自覚が少しもなかった。
「せっかくだから一緒に写真を撮らせてくださいな」
 婦人は連れの男にキャリーバッグを渡し腕のポケットからガジェットを取り出した。機械音と共にガジェットに保存された写真には太ったご婦人と並んで、ぎこちなく愛想笑いを浮かべて立つ梨花の姿が映っていた。それでも婦人は保存するに相応しい絵になっていることに満足したようだった。

 婦人らに手を振って別れた後、ベンチのそばにある案内板に目が行った。そこには公園の歴史がかいつまんで書いてある。とりわけ中央の円形の部分を指して書いてあるのが、そこが資源採掘跡地だという事だ。数百年前に月を開発する時に掘られたらしい。「大きな穴を掘って蓋をしたのね」梨花は慌てて穴に蓋をする宇宙服の人達を想像して面白くなった。そして小学生の頃に流行った都市伝説を思い出した。この蓋の下には宇宙人の基地とか遺跡が眠っているというやつだ。
 採掘跡なら立派な遺跡だしなぁ、と唇の片側を強く結んで腑に落ちない気分で梨花はまたベンチに腰をかけた。そのまま前屈みになって両手で頬杖をついて広場を見つめる。小さな女の子が声を上げて走り回っているのが目にはいった。その子のお母さんだろう、ピクニックバッグを引っ掛けたベビーバギーに手を置きニコニコしながらその子を見守っている。自分にもあんな時代があったんだろうな、と想像してダイニングで肩を震わす母親の事を思い出した。

「でもあの下には本当は何があるんだろう。」 
 都市伝説なんて幼稚な噂話だと思っていたが、今の梨花にはちょうどいい興味をそそっていた。

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