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#308 自分は「公共財」である!スパルタキャンプ塾長 中軽米真人さんからの学び

いかがお過ごしでしょうか。林でございます。

市役所に勤めながら、岩手県八幡平市立スパルタキャンプ塾長として、プログラミングと新規事業開発を塾生に無料で教えて、1カ月で起業家に育成するというプログラムを企画・運営されている中軽米真人さん。

「地方公務員アワード2023」も受賞されている凄腕な方なのですが、考え方が超柔軟かつフランクで、私も何度かチャット等でコミュニケーションを取らせていただき、「日本には、まだまだ面白い先輩が沢山いらっしゃるな〜」と希望を持たせてくれる方です。

塾長がnoteで公開されている「失敗しない起業の教科書」は、実践に裏付けされた起業のノウハウが物凄く体系的にまとめられており、これを読んでるだけでも学びが多いのですが、先日塾長と会話していて、大変共感する考え方がありましたので、今日はそのことについて話してみたいと思います!

スパルタキャンプについて知りたい方は、ぜひ堀江さんのホリエモンチャンネルもご覧になってみてください。

超共感する考え方「世界が面白くなればそれでオッケー」

塾長と話していて一番共感するのは、「世界が面白くなればそれでオッケー!」という考え方です。
私も10代、20代の頃は、自分のことで必死で、自分が成長していく!だったり、自分がより楽しくなる生き方をしたい!という考え方で生きてきました。

私の中での変化は、30代になり結婚して子どもも生まれて、「あ、自分は次世代にバトンを渡す側に回ったんだ」というのを何となく実感するようになったことです。
同時に「せめて自分の子どもには誇れる生き方がしたい」というようにも考えるようになり、それは少なくとも適当な「やっつけ仕事」で負の遺産を次世代に遺したりしないこと。そして、もしできれば、ほんの少しでも、自分と直接的にでも間接的にでも関わったことがある人が、「あぁ、自分はここが限界だと思っていたけど、今の環境でもこんなことまでできるんだ!」というのを、自分でやって見せて、ワクワクしてほしいと考えています。

だから、本当にここ3〜4年で自分の価値観もアップデートされてまた違うフェーズに入りつつあるのを感じていますし、価値観が変われば行動が変わり、出会う人も変わるということで、それまでの東南アジア中心の人生から日本国内にも目が行くようになってきました。

地方にも「この人は面白い!」と感じる方がいるのを知り、東京よりもトータルでの戦闘力が求められると感じている地方をフィールドにして、これまで培ってきたものを活かして、面白い人たちともっと面白いことを仕掛けていきたい!と考えるようにもなっています。

というのも、人口減少とは言え、それなりの人口が集積する東京においては、全体の中での役割分担が進んでおり、個人はサイロ化された役割の一部を担い、そこを深めていく、という構図になっているのを感じています。
一方で地方では、良くも悪くも人手不足が都市部よりも先に深刻化していますから、セグメント化された役割の超一部だけが得意であっても、物事を進めることはできない。
ただ、都市部のサイロ化された領域をめちゃくちゃ突き詰める必要があるかというとそうでもなく、事業活動で言えば、企画から営業、開発という役割を変に分断せずに、幅広く一人でこなしていけるパワーの方が重要だと考えています。

割と飽き性で、色んなことに興味・関心を持ちがちで、プロジェクトなんかも自分の与えられた役割にあまり固執せずにブンブン回していく方が好きな自分にとっては、トータルでの戦闘力が求められる地方は魅力的です。

で、トータル戦闘力を活用して、「こういうことがしてみたい!」という人と一緒になって何かに積極トライして、ちょっとでも世界が面白い方向に進むと嬉しい、こんな価値観を持っているのですが、中軽米塾長は、このあたりを体現されている方の一人だな、と感じるのです。

「論語と算盤」のバランス

で、塾長とのやりとりに戻るのですが、塾長はご自身のことを「公共・社会サービス」とカテゴリされています。笑

この価値観が塾長のスパルタキャンプの取り組みのあらゆる部分に表れていると感じていて、まずは無料で学ばれてきたノウハウを公開しているところですね。

「無料がいいもの」と言うつもりはありませんが、私が考えるところ、塾長にとってのメリットは、まず「世界を面白くなればいい」というところにあるんですね。その上で、実質的なベネフィットというのも、別にスパルタキャンプ単体でどうこうしようではなく、そこで人が育ち、地域に産業を起こせる人材や、別に産業を起こすという大きなことでなくとも、優秀な人材が地元でも活躍できるフィールドがあることを感じてもらい、そこで面白いことを仕掛けていくことで、地域も自分も面白くなるところにあると思うのです。

だから、その入口となるスパルタキャンプそのものでのマネタイズは不要な仕組みを取っていて、それでいて、適当な人が沢山入ってくると目的を達成できないから、選考制度を設けたり、途中で課題をクリアできないとクビにする仕掛けを構築している。

単純に「世界を面白くする!」という想いだけでは社会実装できないものを、極めて合理的な仕組みとセットで提供することで持続する形にできている、という点が素晴らしいなと。この最適解と思われるやり方も、おそらくあらゆる問題にぶち当たりまくって「やりたいことの柱」はブラさずに、あの手この手で面白おかしくチャレンジし続けた結果の賜物なんじゃないかな?と想像してます。

知識も経験もアイデアも、持ってるだけでは価値は0

塾長とのやり取りでもおっしゃってましたが、どんなに素晴らしい知識や経験アイデアを持っていても、自分の頭の中にある時点では、全くもって価値はゼロなんですね。
所詮個人がコソコソと抱え込んでる情報なんて、広い世界と長い歴史の中で捉えればどうでもいいことばかりだし、「何かの重要情報を知っている!」というだけでその人の価値が上がることはないと考えています。

「○○に関する必殺技はこちら!」、「○○の時短テクはこちら!」というように煽る広告は本当に多いですが、誰かからいくら有益な必殺技を教えてもらったところで、それを活かす術を知らなければどうにもなりません。
そして、大抵の場合、それを活かせるかどうかは、それを活かしたい!と思う心からの動機や熱意が必要で、それを持つにはやはり自分であれこれ恥かいて失敗しながら行動を繰り返すしかないと思うんです。

会社で新規事業検討のミッションを担っていた時に痛感しましたが、「自分だけが知っていること」「自分だけが思いつくもの」というのは、ほぼ有り得ません。自分で「これはいけるぞ!」と感じるような素晴らしいアイデアが思い浮かんでも、ネットで調べれば大体誰かが既にやっている。
でも大事なのは、そこで諦めてしまうのではなくて、本当にやりたいことであれば、自分なりのやり方でやり抜くことだと思っています。

職場のメンバーに同じ仕事をやって、とお願いしても、やり方は本当に人によって異なります。やり方のところに、その人ならではのオリジナリティが出てくる。「自分が思い浮かんだことを他の誰かがやっている、やろうとしている」のを知っても、全然動じる必要はない、と考えます。

私が毎日noteを書く理由もそうなのですが、自分が知っていることを頭の中にだけに置いておいて、今の自分には活かし方が分からないことでも、こうやって書いてオープンにすることで、自分の代わりに生かしてくれる人がいるかもしれません。

私も、「自分は公共財なんだ!」という考え方を持って、自分の経験から理解したこと、学んだことを誰かに伝えて、共感してくれる人と一緒に色々と仕掛けていきたいです。

「自分は公共財」、こんな素敵な考え方を言語化してくれた塾長には、改めて感謝です!
いつか塾長とは直接お話できる機会があればいいな、と思います。

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