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【今でしょ!note#18】 1986-90年 バブルの発生と高成長の実現(経済白書から現代史を学ぶ その9)

おはようございます。林でございます。

「経済白書で読む戦後日本経済の歩み」シリーズその9です。

1970年代以降、オイルショック・円レート大変動・世界経済のインフレ・貿易摩擦の激化など、日本経済が国際情勢に大きく影響を受けるようになってきました。

国内財政では、建設国債発行等の公的部門拡大や年金医療保険費の増大による財政の国債依存度が高まります。また、80年代に入り、GDP比の社会保障費が13〜14%となり、将来予見される高齢化社会への課題が指摘されるようになりました。

今回は、80年代後半の日本のバブル経済の発生について触れていきます。


80年代後半の円高の影響

80年代後半の平均経済成長率は、前半に比べ加速し、約5%程度の伸びとなっています。
この時期の特徴は、ドル高修正が急速に進み、85年2月の263円から87年4月には137円と、対ドルでの円の価値が2倍に上昇しました。

レジャー関係では、円高効果もあり海外旅行が急速に伸びを回復。為替調整を巡り国際的な政策協調が行われ、先進国間で協調的な金融緩和策が取られました。

円高の進展に伴い製造業では深刻な事態に直面しますが、通貨価値向上に伴う一次産品価格(食料、農鉱産物原料、燃料など、加工前の原料形態の産品)の下落により交易条件が改善し、実質所得が増加したことで非製造業部門では好調を持続します。

大幅な実質所得増加は、耐久消費財の需要を喚起し、民間消費ブームが巻き起こります。輸入においても耐久財の伸びが著しく、乗用車輸入が急増し、国内の普通自動車のシェアの3割を占めるようになりました。

地価の急上昇と民間住宅投資増加

地価も次第に上昇します。
80年代半ばは、東京の商業地が値上がりの中心でしたが、次第に東京の在宅地・地方主要都市へと値上がりの動きが広がります。
東京の都市部の値上がりは著しく、郊外地域の住宅地化が一気に進みました。

東京圏でのマンション価格の年収倍率(購入者の年収と物件購入価格の比率をあらわした数値)をみると、85、86年ごろの5倍弱から87年には6倍、88年には7.6倍と急上昇しています。

民間住宅投資は、80年代後半の景気回復局面で公共工事とともに国内需要をリードします。86年度に始まった貸家ブームは87年にピークに達し、それ以降は分譲住宅が増加しました。

地価上昇に伴う株価上昇

株価も地価に見合う形で上昇を続け、株価収益率の指標は、国際比較においても異常に高い水準を記録します。

通常、株価は企業の収益の割引現在価値で決定されます。金融緩和時には、割引率が低下することから株価上昇しやすい特徴があります。

しかし日本では、企業の正味資産(バランスシート上の資産−負債)で株価が決定されていました。そのため、一時点での地価上昇などで企業の保有資産価値が上昇すると正味資産も連られて増大し、株価が上昇する構造になっていました。

また、地価の上昇はそれ自体が担保価値の上昇となり、金融機関の融資を容易にさせます。その資金供給が、さらなる株式や土地の購入資金となり、株価・地価の上昇を引き起こします。

ドル高修正とそれにともなう超金融緩和は、金融機関からの資金調達を容易にし、資産価値の著しい上昇期待を実現させ、資産バブルを形成させたのです。

働き手の増加と日本型経営の喧伝

労働力需要は増加を続け、87、88年度は1%台の増加でしたが、89年度には2%を超える増加を示します。

女性の就業者数の伸びが大きく、サービス産業が特に高い伸びを示し、製造業でも回復が見られました。完全失業率は90年度には2.1%となり、74年の全国産業ベースでの調査開始以来の人手不足が記録されました(特に単純工や技能工が不足)。
女性の労働供給は、87、88年度の40万人強から89年度には68万人に増加しています。

機械産業を中心とする輸出産業では、円高の進行に関わらず依然アメリカ市場が収益性の高い市場として存在し、日本型経営が喧伝されます。
トヨタのカンバン方式、工場での品質管理、高い労働者モラルなど、日本型産業の利点が注目を浴びました。

また、急速な円高進行に対処するため、製造業企業を中心に人件費などの安い東アジア諸国への直接投資が加速します。これを契機とし、それまでの韓国、香港、台湾、シンガポールに加え、ASEAN諸国での経済発展が引き起こされることになります。

保護規制緩和と金融自由化

80年代後半には、円高の影響から情報通信分野を中心に急速に技術革新が進められ、製品の多様化、高付加価値化など様々な対応がなされます。特に製造業では、生産性を向上することで国際競争に対処します。

しかし、流通・運輸・通信・建設・農業などの非貿易財部門では、保護規制により十分な競争が行われてきたわけではありません。

流通業は、大店法・酒税法・食糧管理法などの規制見直しの必要性が指摘され、運輸業は、鉄道・自動車・航空・海運など、事業内容や規模が異なる業態間で相互に競争する必要性が指摘されています。

また、この時期、国有鉄道の民営化、日本航空の民営化、宅配便の規制緩和などが進みました。電気通信業も、新規参入増加・競争による料金引き下げを目的とした電電公社の民営化が行われています。

金融革新は、通信・情報処理分野を中心とした技術進歩、国際化の進展、金利規制や業務規制の緩和による進展が見られました。

金融自由化は、経営効率化によるコスト削減などのメリットをもたらす一方で、金融機関に対して、信用リスク・為替変動リスク・金利変動リスク・流動性リスクなど、厳しいリスク管理を求めるようになります。

同時に、公的部門に対しては、中銀の信用機能、預金保険制度の整備と拡充、考査体制、自己資本管理などの厳しい対応の必要性が指摘されるようになりました。

不健全な経済体質

80年代後半の日本経済は、力強い民間消費、民間設備投資といった国内需要に主導された経済成長で、先進諸国きっての労働生産性の高さを誇る弱点のないものと思われました。

しかし内実は、異常に高騰した地価・株価に踊らされた生産能力の増強や、生産性上昇に寄与が少ない設備投資で、単に高いものが選好される消費支出でした。

90年代に入りバブルの崩壊とともにもろくも崩れ去り、資産価値の下落により債務残高のみが突出した不健全な経済体質だけが残されることになります。

明日は、90年代前半のバブル崩壊後の長期的な低迷状態の入り口の様相について、ご紹介します。

それでは、今日もよい1日をお過ごしください。
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林 裕也@30代民間企業の育児マネージャー
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