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#466 決断力は、「捨てるトレーニング」から始まる
先日、久々に会った後輩と話していたところ、「管理職が、勇気を持って仕事を捨てることが出来ず、現場の仕事量が減らずに困っている」という話が出ました。
何か新しいことにチャレンジするには、まずは「捨てる」ことから、「足し算ではなく引き算を」みたいな話は、皆さんも聞いたことが多いのではないかと思いますし、頭で理解は出来るところだと思います。
しかし、後輩が話している通り、現実問題として「捨てる」ことを実際に出来ている人は、なかなか少ないのでは?とも感じます。
特に管理職になっても「捨てる」ことが苦手な人が多いのは、若い頃から日常的に仕事を捨てるということをやって来なかったからでは?という仮説を持っています。
つまり、何かを潔く「捨てる」=「決断する」ためには、そのためのトレーニングを通じて慣れることが必要ということです。
今日は、後輩との話から、具体的なエピソードも交えながら、「捨てるトレーニング」として、普段から意識できると良いと感じていることを話します。
「資料1枚でまとめる」ことの本質
私はシステムエンジニアとして働いているので、いわゆるホワイトカラー職で、普段何をしていることが多いかというと「誰かと話している時間」か「PCを使って資料を作っている時間」が大半を占めます。
前者の「誰かと話している時間」は、マネージャーとしてメンバーとのコミュニケーションをはじめ、お客さんや発注先のビジネスパートナーとの調整、社内上層部向けの報告などを指しています。
後者の「資料を作っている時間」では、文字通り「自分で手を動かして資料を作る」こともあれば、自分以外のプロジェクトメンバーに作ってもらった資料を確認して手直しをしたり、修正をお願いしたりすることも多いです。
この「他人に資料作りをお願いするシーン」でよく感じるのは、「資料作り」が得意ではない人がかなり多いということです。
というよりも、それぞれ我流・見よう見まねで資料作成能力を養ってきたことが多いのか、「相手目線」の資料作りになかなか意識が持っていけないのか、荒く表現してしまうと「何が言いたいのかクリアに伝わらない資料」の遭遇率が高いです。
私が東南アジアでの10年の仕事をしていて良かったことの一つは、この「伝わる資料作り」において、かなりトレーニングされた実感があることです。
というのも、東南アジアビジネスでは基本的に英語で仕事をしていましたが、自分も相手もノンネイティブ同士のコミュニケーションになるので、冗長な文章や遠回しな表現では、相手に何も伝わりません。
また、文章で伝わらないことは、絵や図とセットで資料化することが多く、当時担当していたシステム仕様を表現した100枚以上にわたる提案書は、ほぼ私が東南アジアの仕事に向かうフライトの中で作成したものでしたから、絵を使って表現する場数を積むことが出来ました。
自分のチームにいた現地のエンジニアたちにも、自分たちが作るものがクリアに伝わらないと当然モノ作りはできませんし、お客さんとのイメージもしっかり合わせないと作り直し=追加コストの発生に直結しますから、とにかく「相手に伝わる資料作り」のスキルが鍛えられた時間でした。
(私が実践で培ってきた「伝わる文章の書き方」は、図解なども入れながら解説した記事を多くの方にご購入いただいているので、ぜひ苦手意識がある方はこちらをご覧になってください↓)
話を戻すと、「何が言いたいのか伝わらない資料」というのは、とにかく情報が
正規化されていないんです。情報量が多くなると、何がポイントかボヤけますから、私が普段メンバーに資料作りをお願いする時にも「1枚でまとめて」という話をすることがあります。
しかし、こう言うと多くの場合、タイトルのオブジェクトをギリギリまで外側まで寄せてみたり、フォントをギリギリまで小さくして、文章全体が入るように何とか調整してこようとする人が多い。
違うんです。
余白なく小さな文字が並んだ資料は、全く美しくありません。「1枚で伝わる資料」どころか、完全に逆効果です。
例えるならば、テーブルの上にできるだけ多くの食器や料理が無理やり置かれているのと同じで、全く美味しそうに見えないのです。
「1枚でまとめる」ということは、究極的に「捨てる」ということ。
要らない情報、冗長な表現をカットすることです。「決断力」と聞くと、大きな方針の意思決定のように聞こえますが、こうした小さな資料作り一つをとっても、「捨てるトレーニング」が出来る場面はたくさんあります。
私は、資料作りにおいて、フォント14ポイント以下は基本的に使いません。これは、文字が小さくて相手が見にくくなるのを避けるため、という目的もありますが、文字を小さくするのではなく、1枚の文章「量」を削るトレーニングを自分に課しているためです。
捨てる仕事を選べないのも同じ話
「成果(=利益率の向上)に繋がる仕事と、成果に繋がらない作業」の区別がつかないマネージャーが、「これって本当に力を入れる意味あるの?」と思える仕事も含めて人海戦術で何とかしようとする構図も、資料作りの話と類似します。
どの仕事も過去の経緯からやらないといけないものだから満遍なくやろうとしたり、全ての仕事に100%のリソース配分をかけようとしたりして、仕事「量」の削減にアプローチしないことも、文字を出来るだけ小さくして1枚に収めようとしている資料作りと類似しているように思えてなりません。
5年前、大規模アジャイルフレームワークのSAFe(Scaled Agile Framework)に魅了されていた期間があります。SAFeを独学で勉強し、それまでアジャイル開発の実績は全くなかった事業部組織の中でのアジャイル開発適用を上司に提案し、自分が担当する開発プロジェクトに導入しました。
アジャイル開発の考え方から学ぶことは多くあります。
そのうちの根幹となる考え方として、「ビジネス価値に直結するタスク」を優先的に行い、そうでないものは「捨てる」というものがあります。
「やるべきこと」と「やったほうがいいこと」の間には大きな違いがあり、「やるべきこと」というのは、究極的には「ビジネス価値に直結するもの」になります。
しかし、多くの場合「やるべきこと」というのは、過去の前提条件の中で決まったルールで定められたものであったり、前例踏襲のものであったりすることが少なくありません。つまり、現在においては「ビジネス価値に直結するか怪しい仕事」になっているわけです。
チームで担当する仕事の取り組み方の優劣を指示できず(この仕事は大事だから力入れてね、これはどうでもいいから適当にやってね、みたいな)、どうでもいい作業を捨てられない上司は終わっています。
自戒も込めて厳しい表現で書いていますが、その被害者となるメンバーがいることを想うと、本当に「終わっている」と感じます。
そんな決断力を鍛えるには、別に組織の方針を決定するような大きな意思決定ばかりを経験する必要はなく、自分の目の前の仕事の進め方といった小さな世界からトレーニングが十分出来るのです。
「捨てるトレーニング」を積み重ねないまま、自分が責任者のポジションになってしまうことほど不幸なことはありません。
私も、「捨てる筋力」が落ちないように、意識的に「捨てる」ことを意識してやっていきます。
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