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#465 「見た目は大人、頭脳は子供」の「残念な逆コナン君」を作らないために必要なこと

最近、複数の人からそれぞれ異なる具体的なエピソードをいくつか聞いて、「見た目は大人、頭脳は子供」の残念な大人(学生も含む)を作らないために必要なことについて考えました。

私も現在、3歳と1歳の子どもがいます。

彼らには、電車に乗るときに知らん顔して順番を無視して割り込んでくるような、つまらない人間にはなって欲しくありません。
公共の場で、大声で意味不明なことに怒りをぶつけているような、つまらない人間になって欲しくありません。
自分の要求を通すために、罵詈雑言・全く論理的でない主張ゴリ押しで喚き立てる、つまらない人間になって欲しくありません。

どうしたら、このような「残念な逆コナン君」にならないように教育できるのだろうか?と考えた時に、自分の中で個別の話がつながった感覚がありました。それが、「子どもを、子ども扱いしない」ということに尽きるということです。

今日は、具体的な話を取り上げながら、私としての意見をまとめておこうと思います。


大人の保身という問題

まず、こちらの記事に書かれている価値観・考え方は、ぜひ多くの人に届いてほしいものです。

「大人の保身」として、「親や先生が子どもに注意しない」、「上司や先輩が部下や後輩に注意しない」ことが導く「究極の自己責任論」という突き放しの世界への警鐘を鳴らしています。

「面倒臭い他人に対して、絡まれる・巻き込まれると面倒だから」と放置するのは、まぁ分かります。しかし、親であれば、子どもが筋の通らないことをしていた時に「それは筋が通ってないぞ」とか、危険なことをしたら「危険だからやってはいけない」をきちんと伝えることが責務です。

上司の仕事は、部下の育成です。
チーム成果が求められるマネジメントの仕事では、チームを構成するメンバーの個の力を向上させることが不可欠だからです。

部下を育成するためには、目標設定とフィードバックが鍵。相手の動き方・仕事の成果への「期待」を伝え、その期待に対して届いているのか、届いていないのかを伝える。本人に現在地を伝えるために「自分にはあなたがこう見えている」というフィードバックが大切なのは、多くの人が理解しやすいところだと思います。

一方で、最近ではハラスメントを過度に恐れて、部下に伝えるべきことも伝えない上司も多い印象です。成長に必要なフィードバックをしていないということです。こういう上司は、決して「優しい上司」などではなく、単に「保身を優先して、上司としての育成の仕事を放棄している」だけです。保身に囚われ、成長に必要な「人間対人間」のコミュニケーションを怠っています。

「親や先生と子ども」の関係性においても、やはり「人間対人間」のコミュニケーションとして、真剣に相手の人生に向き合うことから逃げないことに尽きるのかなと。

乳幼児であればまだしも、小学校高学年くらいになれば、とにかく何でもかんでも「出来たね、良かったね」ではなく、一人の人間の基準で接することが大切。もちろん、何かを実現したこと、できるようになったことへのポジティブな声かけは大切だと思います。しかし、「子どもなのに」よく頑張ったとか、わざわざ大人と子供を分断するような表現での評価は、子どもも要らないのでは?と思います。大人側の「子どもなのに」みたいな前提付きでのコミュニケーションは見抜かれるし、「子ども扱い」されるのに慣れてしまった結果、いつまで経っても「子ども」な部分が心から抜けずに、そのまま大人になってしまう人もいるのでは?と考えます。

仕事やお金のことも、普通に子どもに話すこと

今週からリリースされた「ジブン株式会社RADIO」にて、私とえみさんの対談の中でえみさんがおっしゃっていたことですが、日常的に「大人の仕事や、お金の話を家庭内で積極的にする」っていうのが、子どもの自律を促す秘訣だと感じました。

私自身もそうだったのですが、子どもの頃に自分の親が仕事で何をしているか、家計管理がどのようになっているか、全くのブラックボックスでした。
父親は、アルミ・サッシを扱う建築系の仕事をしていたため、たまに一緒に車に乗っていると、「このビルの窓は、父さんが担当して付けたんだ」とか話をしてくれることはありましたが、それ以上は何をしているかよく分かりませんでした。

当時は、それが当たり前だったので、別にそのことに対して不満を持っているわけではありません。しかし、私自身も仕事を始めて感じるのは、こんなに面白く、学びもあることであれば、うまくいかない多くのことも含めて、子どもにそのリアルをそのまま伝えることが大切なのではないか?ということです。

子どもたちに「はたらく」を考えるためのワークショップを提供しているパーソルキャリアさんの話によると、自分の親が仕事を楽しくなさそうだから、はたらくことに対してネガティブな印象を持っている子どもは多いということでした。

仕事もお金も、別に大人だけが関係する話ではないし、全員がいつかは自分が主体的に関わっていくことです。
この点でも「大人か子どもか」みたいな分断は不要で、えみさん家のように子どもが小学生くらいになれば、親が仕事で何をしているか、何に困っているか、みたいな話を積極的に話をすることが大事だと思うんです。

子どもが学校で何をしているか、を聞くのであれば、大人側も仕事で何をしているかを会話することは「人間 対 人間」のコミュニケーションとしての対等な関係性だよなと。一番の発信先は、自分の子どもだなと。

子どもには仕事の話は不要、お金の話もまだ早い、などと情報をクローズしてしまうから、子どもたちがそのまま時間を経て大人になり、「お金に疎い」大人たちが量産されているのではないかと考えます。

孫の料理も対等に評価する平野レミさん

先日、料理研究家の和田明日香さんのお話を直接伺う機会がありました。ここで学んだことは別記事で取り上げようと思いますが、一つ印象的だったエピソードをご紹介します。

和田明日香さんの姑にあたる平野レミさんのために、和田明日香さんの3人の小学生のお子さんたちがハンバーグを振る舞う機会があったそうです。

和田明日香さんは、お子さんたちがハンバーグを作るのを黙って見ていたところ、1回目はハンバーグが焦げてしまったとのこと。「なんで焦げたと思った?」と考えさせ、リベンジで挑んだ2回目は焦げずにハンバーグが焼けたそうです。

平野レミさんからすれば、可愛い孫たちが自分のために作ってくれたハンバーグ。どんなハンバーグであれ「美味しい!」とか言ってしまいそうですよね。

しかし、平野レミさんは、「私は焦げたハンバーグは食べないからね」と一蹴し、お子さんたちが2回目に作った焦げていないハンバーグだけを食べたと話されていました。

相手が子どもであれ、フェアな姿勢がすごくいいですよね。「料理」というフィールドにおいては、大人・子どもは関係なく、相手が自分の孫であれど、ものすごく対等です。

子どもを変に子ども扱いしたり、無理やり作った「子ども基準」で評価しない。
大人と同じ基準で、対等に話す、情報開示することで、「見た目」だけでなく、中身の「頭脳」も大人になっていくんだろうな、と。

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林 裕也@IT企業管理職 ×「グローバル・情報・探究」
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